3月4日はミシンの日!意味や由来・歴史など解説!何の日? | トレトレの昨日の?を今日で解決!
「アフィリエイト広告を利用した記事があります」

 

3月4日はミシンの日!意味や由来・歴史など解説!何の日?

3月4日はミシンの日 3月

3月4日はミシンの日だね!

ミシンと言えば、イギリスの「ソーイング・ビー」って番組が好きだったよ。

私はミシンが使えないけど、使える人はすごいわよね。

今回は、3月4日がミシンの日になった意味や由来など紹介するわ!

「ミシンの日」は、ミシンの発明から200年を祝して、1991年に日本縫製機械工業会により制定されました。

この記念日の選定には、ミシンを意味する数字の語呂合わせ、「ミ(3)シ(4)ン」が用いられています。

3月4日はミシンの日

この日は、1790年にトーマス・セイントによって世界初のミシン特許が英国で取得されてから200年後の1990年を記念しています。

日本縫製機械工業会はこの期間を「ミシンの月」として特別に定めており、同会は縫製機械産業の発展を目的に1969年に設立された団体です。

「Japan Sewing Machinery Manufacturers Association」という英名を持ち、「JASMA」の略称で知られています。

ミシンは、布や皮、紙などを縫合するために用いられる機械であり、その日本語名は英語「sewing machine」の「machine」から来ています。

一般的な布を縫うミシンのほか、布の端を処理するロックミシン、畳を縫うためのミシン、しるし付け用のミシン、糸を使わずに熱で素材を溶接する高周波ミシンなど、さまざまな種類が存在します。

ミシンが日本に伝わったのはいつ?

ミシンが日本に伝わった経緯には様々な話がありますが、中でも注目されるのは、1854年にアメリカのペリー提督が第十三代将軍、徳川家定の奥方、敬子(すみこ)へミシンを贈ったというものです。

ただし、より正確には、この贈り物は家定自身へのものだったと考えられています。

黒船来航の翌年、1854年、ペリー提督が横浜へ再来航し、徳川家定に多くの珍品を献上しました。

その中には、日本に初めてもたらされたミシンも含まれていたとされています。

使用したのは家定の妻、天璋院敬子(篤姫)と推測されていますが、ミシンが贈られたのと使用されたのでは、意味が異なります。

時代背景から見ても、贈り物が徳川家定に向けられたことがより確かであるとされています。

篤姫が嫁ぐ前にすでにミシンがあった?

敬子が徳川家定に嫁ぐ前、すでにミシンは日本に伝わっていました。

贈り物が女性に直接贈られることは当時の慣習にそぐわないため、このミシンは将軍宛ての贈り物と見るのが妥当です。

また、ミシンが贈られた後、家定は1858年に亡くなり、その後の返礼品に関する記録は1862年のニューヨークタイムズ紙に見られます。

民間レベルでは、1860年に遣米使節団に同行した中浜万次郎が写真機と共に手回しミシンを日本に持ち帰っています。

その後、明治時代にはミシンが軍服の大量生産や貴婦人のドレス作りに活用され、次第に日本の家庭にも普及していきました。

輸入品に頼っていた時代から、大正時代に入ると国産ミシンの生産が始まり、現代では様々な高機能ミシンが開発されています。

ミシンは世界各地で改良される

ミシンは世界各地で必要とされ、多くの改良が施されてきました。

1865年には「ニューファミリー型ミシン」が生産され、1890年までに400万台以上が世界中で販売されるほどになりました。

ミシンの進化は、私たちの生活に欠かせないものとなっており、今後もその発展が期待されています。

ミシンと言う名前の起源

「ミシン」という名称の起源をご説明いたします。

「ミシン」とは英語で「SEWING MACHINE」と表記され、「縫製機械」という意味を持ちます。

明治時代の初期に新聞の広告で「ミシン」が紹介された際には、「シウイングマシネ」という表記が用いられていました。

これは「SEWING MACHINE」を直接音読みした形です。

その後、日本の通訳者が「マシン」をやや訛らせて「ミシン」と発音したところ、この発音が外国人にも受け入れられ、日本では「ミシン」という呼称が定着しました。

ミシンの日には手芸を始めてみよう まとめ

総括すると、ミシンの発明200周年は1990年に当たり、この記念すべき年を祝して翌年の1991年に「ミシンの日」が制定されました。

加えて、日本縫製機械工業会は、毎年1月から3月を「ミシンの月」と定めています。

最後までお読みいただきありがとうございました!