
春になると花見が楽しみになるよね!
実は、最初の花見は812年だったって知ってた?

私は知らなかったんだけど、嵯峨天皇の花見が最初らしいわね。
今回は、最初の花見はいつ始まったのかなど、花見の由来や歴史を紹介するわ!
日本で最初の花見を行ったのは嵯峨天皇とされていますが、812年にはすでにあったのには驚きですね。
今回は、花見の由来や歴史など徹底解説します!
日本で最初の花見は812年?

日本で最初の花見と言えば、嵯峨天皇が神泉苑にて行った花宴の節が始まりとされています。
実は奈良時代まで、日本で花見と言えば桜ではなく梅の木だったそうで、貴族が梅を見ながら歌を詠むのが花見の原型とされていました。
というのも、奈良時代末期に成立した最古の和歌集「万葉集」にも「梅花の宴(うめのはなのうたげ)」が収録されており、昔は花見と言えば桜ではなく梅だったんですね。
嵯峨天皇は清水寺にある地主神社の桜が好きで、毎年桜を献上させていたのですが、これが後に貴族達にも伝わるようになり、花見は桜がスタンダードとなっていたとされます。
また、831年になると、宮中で天皇主催の春の恒例行事として、花見が取り入れられるようになり、その様子は「源氏物語」第八帖「花宴」にも描かれています。
「源氏物語」第八帖「花宴」とは
源氏物語にも花見の記述がありますが、そこにはこう書かれています。
現代語訳:二月の二十日余りに、南殿で桜の宴が催された。藤壺(ふじつぼ)中宮と東宮の御座所を左右にして、お二人が参内した。
西行法師と桜の関係
百人一首の歌人としても有名な西行法師もまた桜に関係があり、自身で亡くなる時の様子を以下のような歌で残しています。
現代語訳:願わくば、桜の花の下で春に死にたい。陰暦二月十五日(釈迦の入滅した日)の満月の頃に。
この歌の通りに生涯を終えた西行法師ですが、桜との関係は深そうですね。
桜の存在を思わせる左近とは
京都御所の内裏には「左近の桜(さこんのさくら)」がありますが、この桜が当時の桜の存在を思わせる重要な桜だと言われています。
と言うのも、平安京遷都の時、元々は「左近の梅」が植えられていましたが、数十年後には枯れてしまい、その代わりに左近の桜が植えられたというんですね。
その後になって、桜の花をめでる文化は武将たちの間にも広まっていき、一番有名と思われるのが豊臣秀吉の「醍醐の花見」でしょう。
約1300人を集めた豪華絢爛な宴だったようで、今のようなカラフルな花見団子もこの時に振舞われたのが最初と言われています。
農民には豊作を占う神事だった
天皇や貴族、また武士の間で流行った花見でしたが、農民などの庶民にとっては、花見は宴というよりは神事の1つであったようです。
「種まき桜」と呼ばれる樹齢約1200年の「草岡の大明神ザクラ」、また、桜の開花を待った里人が苗代の準備を始めたことに由来する、岐阜県の「苗桜」などがその証拠で、農作に関するあだ名を持つ桜の名木が全国にあることからも、昔の農民達が桜をどのように扱っていたのかがわかります。
現代の花見は江戸時代から

現代の花見スタイルが生まれたのは江戸時代からと言われており、三代将軍家光が上野や隅田河畔に桜を植えたこと、また、8代将軍吉宗が飛鳥山を桜の名所として整備など、庶民にも花見の場所が増えたことで、花見=行楽としてのイベントが浸透していきました。
江戸時代に整備された桜の名所として有名なのは「上野恩賜公園」「隅田公園」「飛鳥山公園」などがありますが、現代でも桜の見どころスポットとして残されています。
ちなみに、「長命寺桜もち」が生まれたのも江戸時代とされ、当時の庶民の間にも桜に関するモチーフが登場するなど、桜を楽しむ方法も変わっていき、今でいう「花より団子」という言葉ももしかしたら、江戸時代に生まれたのかもしれませんね。
花見は812年の嵯峨天皇の宴が最初だった まとめ
それでは、日本で最初の花見が812年の嵯峨天皇の宴だったとの説や、梅の花から桜に変遷していった歴史、現代の花見の由来などご紹介してみました。
812年は記録に残っている中でも最古のお花見ですが、嵯峨天皇の頃にはすでに貴族たちの間で花見はあったということですね。
現代の花見に繫がるのは江戸時代からとされていますが、花見を庶民が楽しめるようになったことで、日本の文化が花開くきっかけになったのもかもしれませんね。
最後までお読みいただきありがとうございました!