
8月23日は白虎隊の日だね。
会津藩の若者が亡くなったのは痛ましい事件だったよね。

他の道はなかったのかって、ちょっと悲しい事件よね。
今回は、8月23日が白虎隊の日になった由来や雑学など紹介するわね!
8月23日は白虎隊の日ですが、若者が自刃した日として、白虎隊自刃の日なんて呼ばれることもあります。
今回は、記念日が出来た由来や雑学などご紹介します!
8月23日は白虎隊の日

8月23日は白虎隊の日ですが、1868年の戊辰戦争で会津藩の白虎隊が飯盛山で自刃した日で、別名白虎隊自刃の日とも言われます。
1868年から翌年まで行われた新政府軍と旧幕府側の戦いが「戊辰戦争」ですが、会津藩の白虎隊は、最年少の軍隊で、16歳~17歳までの少年で編成されていました。
会津藩の部隊では年齢別に「白虎」「朱雀」「青龍」「玄武」の4つの部隊に分けられており、白虎隊もその一つです。
奥羽越列藩同盟と官軍が戦闘状態になった時、白虎隊も越後戦争や会津戦争で死闘を繰り広げます。
このうち、飯盛山にいた白虎隊のうち「士中二番隊員」の20名が、城下町に火の手が上がったことで、若松城が落城したものと思いこみ、自刃したのがちょうど8月23日だったんですね。
最年少の部隊だったことから、若くして自刃を選んだ白虎隊ですが、本当に痛ましい事件でした。
徳川家康は健康マニアだった?

徳川家康は、江戸時代の初めの将軍で「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」の名言を残した将軍でもあります。
だからこそ、当時では珍しく75歳という高齢まで生きられたんですね。
また、徳川家康は漢方にも興味を持っていたそうで、自ら栽培した薬草を使うなど、今でいう健康マニアだったと言われています。
当時で70歳以上生きられるというのは珍しく、長寿の秘密は人一倍健康に気を使っていたからなんですね。
白虎隊の唯一の生存者「飯沼貞吉」とは

白虎隊は隊員全員が死亡したと思われがちですが、実は一人だけ生き残った人がおり、それが飯沼貞吉と呼ばれる人物でした。
なぜ、飯沼貞吉が唯一生き残れたかと言えば、通りすがった会津藩士の妻に助けられたからです。
飯沼貞吉が生き残ったことで、白虎隊の名前が歴史に挙がるようになったのは少し皮肉な結末ですが、自刃した仲間を見ながら生き残るのは精神的にもきつかったと思います。
ただ、白虎隊の名前を後世に残せたのは飯沼貞吉のお陰と考えれば、自刃した白虎隊も浮かばれる気がしますね。
8月23日の出来事一覧
8月23日は白虎隊の日ですが、過去の8月23日に起きたできごとなどを一覧でまとめてみましたので、参考にしてみてください。
8月23日が誕生日の芸能人は誰?
- 北 香那(きた かな):1997年8月23日生まれ。日本の女優。
「第1回バーチャルCMオーディション」で榊原美紅とともにグランプリを受賞。 - 高木由麻奈(たかぎ ゆまな):1993年8月23日生まれ。日本のタレント。
女性アイドルグループ「SKE48」の元メンバー。 - 崎本 大海(さきもと ひろみ):1986年8月23日生まれ。日本の俳優。
連続テレビ小説「わかば」の高原光役で注目を集める。
白虎隊の悲劇を繰り返さないためにも まとめ
それでは、8月23日が白虎隊の日になった由来やちょっとおもしろい雑学などご紹介してみました。
戊辰戦争で自刃した白虎隊ですが、若い兵士が自ら命を絶つのは本当に痛ましい事件でした。
武士の感情が働いたのかもしれませんが、悲劇を繰り返さないためにも、自刃に追い込まれた理由などを知っておく必要があるのかもしれません。
白虎隊の生き残りの人物によって、後世に名前が残ったのが唯一の救いです。
最後までお読みいただきありがとうございました!