
8月21日はパーフェクトの日だね!
ボウリングでパーフェクトゲームって、今も偉業だよね。

女子プロでは初めてだったらしいわ。
今回は、8月21日がパーフェクトの日になった由来など紹介するわね!
1970年、プロボウラーの中山律子さんが女子プロとして初めてパーフェクトゲームを達成したことは、今もなお語り継がれる偉業です。
この「パーフェクトの日」は、ボウリングファンのみならず、多くのスポーツ愛好家にとって特別な日となっています。
パーフェクトの日(8月21日 記念日)

1970年、この日にプロボウラー中山律子が女子プロボウラーとして初めてのパーフェクトゲームを成し遂げました。
このゲームはテレビで放映され、その後の日本におけるボウリングブームに大きな影響を与えました。
この記念日は、東京都港区赤坂に本社を構える株式会社マザーランドが制定し、中山選手のマネジメントを担当しているこの会社が、日本記念日協会によって認定・登録されました。
ボウリングブームの立役者2人
1970年代に巻き起こったボウリングブームの先頭に立ったのは、中山律子と須田開代子の2人。
彼女たちの関係は、1969年に行われた第1回女子プロテストから始まりました。
同じ1期生として活躍した女子プロボウラーの並木惠美子さんはこう語ります。
「アマチュア時代から実績のある中山さんと須田さんは、女子プロボウラーの中でも特に注目されていました。」
3日目終了時点では、中山さんがトップに立っていました。
「4日目の休憩時間に偶然、トイレで2人が話しているのを見かけたのですが、須田さんが『まだ終わっていないわよ』と中山さんに言い、緊張感が走ったのを覚えています。須田さんは、どうしてもトップで合格したかったのでしょう。」
最終的に須田さんが逆転し、トップ合格。
その結果、永久に残るライセンスナンバー「1」は須田さん、「2」は中山さんとなりました。
女子プロボウラーが誕生した後、ボウリング人気は急速に高まり、試合がテレビで放映されると、巨人戦の視聴率を上回ることもありました。
男子プロボウラーとして先駆けとなった矢島純一さんも当時を振り返ります。
歴史的瞬間 中山律子の偉業
中山律子さんがパーフェクトゲームを達成したのは、東京・府中スターレーンで行われたプロ月例会の決勝戦でした。
300点という完璧なスコアは、女子プロボウラーとしては初めてのことで、その瞬間はテレビを通じて多くの人々の心を捉えました。
この偉業は、当時のボウリング界における女性の地位を高め、スポーツとしてのボウリングの魅力を広く伝えるきっかけとなりました。
私が子供の頃、家族でボウリングに行くのが一大イベントでしたが、それも中山さんの活躍のおかげであると感じています。
ボウリングが広く一般に受け入れられるスポーツとして成長する過程で、中山さんの存在は常に大きな役割を果たしてきました。
中山さんのパーフェクトゲームは、現代のプロボウリングの基盤を築く上で欠かせない重要な瞬間として記憶され続けています。
私自身、ボウリングは得意ではありませんが、彼女のような偉大な選手がいたことを誇りに思います。
プロ活動50周年を祝うパーティーでは?
日本初の女子プロボウラーとして知られる中山律子さん(76)のプロ活動50周年を祝うパーティーが、川崎市高津区のムサシボウルで開かれました。
多くの愛好者に囲まれた中山さんは、「あっという間の50年。ボウリングを通じて多くの人々と出会い、幸せな人生を送ることができました」と笑顔で語りました。
中山さんは1969年にプロライセンスを取得し、翌年、女子プロ初のパーフェクトゲームをテレビ中継の試合で達成。
日本のボウリングブームを牽引しました。
「さわやか律子さん」として親しまれ、女子プロスポーツのパイオニアとしても語り継がれています。
「特に子供たちにボウリングの楽しさを伝えたい」と語る中山さんは、日本プロボウリング協会名誉会長、ジャパンレディースボウリングクラブ名誉会長として、普及活動を続けています。
ムサシボウルでは毎週金曜日、愛好者の大会に参加し、アドバイスや声援を送りながら交流を深めています。
参加者の一人、杉沢邦男さん(80)は「中山さんの偉大な業績からは想像できないほど、身近に接してくれることが嬉しい。アマチュアを大切にする姿勢が素晴らしい」と語っていました。
ボウリングでパーフェクトを決めた人 まとめ
中山さんのパーフェクトゲームは、現在のプロボウリングの地位を築く上で欠かせない重要な一幕として、今も語り継がれています。
最後までお読みいただきありがとうございました!


