3月11日はパンダ発見の日だね!
パンダと言えばリンリンとランランを思い出すなぁ。
パンダってかなり大きいのに、かわいいと人気よね。
今回は、3月11日がパンダ発見の日になった由来など紹介するわ!
3月11日が、パンダの存在が世界に知られるようになった記念すべき日であることはご存じでしょうか?
中国で「幻の生物」とされ、その存在が伝説のように語られてきたパンダが初めて確認され、以降、保護へと繋がる歩みをたどりました。
ここでは、パンダに会える国内スポットも含めて、その興味深い歴史を振り返ります。
パンダ発見記念日とその歴史
1869年の3月11日、フランス人神父アルマン・ダヴィドが中国四川省のある家庭で、白黒の珍しい熊の毛皮を目にしました。
この出会いが、西洋におけるパンダの存在を知らしめるきっかけとなりました。
ダヴィド神父は、ジャイアントパンダの標本をフランスの自然史博物館に送り、それを基に翌年ミレー・エドワードによって「Ailuropoda melanoleuca」という学名が付けられました。
この学名は、「黒と白の猫足」を意味する古代ギリシア語から来ています。
パンダとは
パンダとは、クマ科に分類されるジャイアントパンダと、レッサーパンダ科に分類されるレッサーパンダの総称です。
両者は中国大陸に生息していることが共通しています。
パンダの名前は、「竹を食べる者」を意味するネパール語「ポンヤ」や、「手のひら」を意味する「パンジャ」に由来するとされています。
パンダの発見と保護の歩み
1869年、パンダの毛皮がフランスの博物学者アルマン・ダヴィドによって発見されたことで、パンダは国際的に知られるようになりました。
しかし、パンダが本格的に保護されるようになったのは、1980年代に入ってからです。
保護活動が始まってからは、生息地の保全や繁殖研究が進められ、絶滅の危機が緩和。
今日では、パンダの個体数は徐々に回復しています。
野生保護のシンボル
パンダ発見の日を記念して、かつて「神の使い」とも称されたこの貴重な生き物の歴史を振り返ることで、現在に至るまでの保護活動の重要性を再認識する機会となります。
パンダは今や、野生保護のシンボルとして、世界中で愛され続けています。
パンダの歴史と中国史の関係
東京女子大学の准教授、家永真幸氏は指摘していますが、パンダが昔から中国四川省や東チベットの深い森に生息していたにも関わらず、中国古典にその記載が見当たらない点が興味深いです。
「パンダブーム」が古くから存在しない理由として、この珍しい生き物に対する関心の欠如を示唆しています。
1930年代にさかのぼる中国の記録でもパンダは「白熊」として記され、特別な興味を引く存在ではなかったようです。
パンダが世界に広まる瞬間
パンダが世界に知られるようになったのは1869年で、フランスの宣教師が四川省でパンダの遺骸を発見し、毛皮と骨をフランスに送ったことに始まります。
1929年にはアメリカの探検隊が生きたパンダを捕獲し、パンダは「ミステリアスな珍獣」として欧米の関心を集めました。
パンダのイメージ転換
パンダのイメージが「可愛い」と変わったのは1936年、ルース・ハークネスが生きたパンダをアメリカに持ち帰ったことによります。
この生きたパンダ「スーリン」は大きな注目を集め、以前は狩猟の対象とされていたパンダの見方が根本から変わりました。
パンダの可愛さはどこから?
1930年代のアメリカでのパンダブームは、ミッキーマウスの「幼児化」デザイン変化と同時期に起こり、幼児的特徴を持つパンダの人気を後押ししたと考えられます。
パンダの愛らしい外見は、大きな頭や目が特徴的で、人間の幼児に対する愛情や保護本能を引き出す効果があるとされます。
しかし、中国ではこのようなパンダブームが起きなかった理由については、文化的な違いや当時の社会背景が関係していると考えられています。
パンダ外交の始まり
パンダが国際的な注目を集めるようになった後、特に20世紀に入ってから中国は「パンダ外交」を展開し始めました。
この政策により、パンダは平和と友好のシンボルとして、世界各国に贈られるようになります。
パンダの歴史と外交との関係についてのまとめ
今日では、パンダは単なる可愛らしい動物ではなく、国際的な外交の象徴として、また絶滅危惧種としての保護の必要性を訴えるシンボルとしても認識されています。
パンダへの関心は、文化や時代を超えて変遷し、現代においてもその人気は衰えることがありません。
今後もパンダを通じての外交関係や環境保護意識の向上は重要であり、パンダはこれからも多くの人々に愛され続けるでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました!