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1月21日はライバルが手を結ぶ日!薩長同盟もわかりやすく解説

1月21日はライバルが手を結ぶ日 1月

1月21日は「ライバルが手を結ぶ日」なんだってね。

日本では薩長同盟が記念日の由来なの?

薩長はライバル同士と言えばそんな感じもするわね。

今回は、1月21日がライバルが手を結ぶ日になった意味や薩長同盟について紹介するわ!

1月21日は「ライバルが手を結ぶ日」として知られています。

この日は1866年(慶応2年)1月21日、互いに対立していた薩摩藩と長州藩が「薩長同盟」を結んだ歴史的な事件を記念しています。

ライバルが手を結ぶ日(1月21日 記念日)

この日、1866年の(慶応2年)1月21日に、薩摩藩の重鎮である西郷隆盛、小松帯刀と、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)らが、土佐藩の坂本竜馬らの斡旋により、京都で会談し、幕府打倒を目的に「薩長同盟」(または薩長連合)を結成しました。

薩摩藩と長州藩は、幕末の政治の中心地であった京都において強大な力を持っていましたが、それぞれの立場は一致しませんでした。

薩摩藩は幕府による開国政策を支持し、幕政の改革を求める一方で、長州藩はより急進的な尊王攘夷の立場を採り、幕府に対する反発を強めていました。

それにもかかわらず、幕府打倒という共通の目標を持って、これまでの敵対関係を超え「薩長同盟」を結成しました。

この同盟は、その後2年で起こる明治維新へと繋がる重要な出来事となりました。

敵対関係にあった薩摩藩と長州藩

幕末期、薩摩藩は朝廷と幕府の協力を目指す「公武合体」派であり、長州藩は尊王攘夷の立場を貫いていました。

文久3年(1863年)、薩摩藩は会津藩と共に長州藩を京都から追放しましたが、長州藩は翌年に京都への反撃を試み、失敗に終わります。

これにより長州藩は「朝敵」とされ、藩の存続さえも危ぶまれる状況に追い込まれました。

そんな深い溝のある両藩ですが、坂本龍馬と中岡慎太郎の斡旋により、薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允が薩長同盟を結び、これが江戸幕府の倒幕への重要な第一歩となりました。

薩長同盟は、かつて対立していた薩摩藩と長州藩が、徳川幕府の打倒を目的に組んだ同盟です。

この同盟には小松帯刀、西郷隆盛、木戸孝允、そして土佐藩出身の坂本龍馬と中岡慎太郎などの重要人物が関わっています。

長州藩の孤立とその背景

薩長同盟は、互いに利益をもたらす同盟でした。

まず、1863年の時点で長州藩は外国船を攻撃するなどの行動で、攘夷派として知られていました。

しかし、朝廷内での工作や会津藩と保守派の公家の連携により、長州藩は力を失い、政治的孤立を余儀なくされました。

薩摩藩と長州藩の接近

長州藩内では、四国連合艦隊の攻撃を見て攘夷から倒幕へと思想がシフトしていきました。

同時に、薩摩藩も倒幕の動きを加速していました。

ここで坂本龍馬と中岡慎太郎が動き、両藩の協力を仲介します。

西郷隆盛もこの考えに賛成し、坂本龍馬は長崎で軍艦や武器の供給を約束します。

1865年、幕府は長州藩の倒幕の動きを知り、再度の攻撃を計画しますが、内部の慎重論によりすぐには動けませんでした。

そして1866年1月、小松帯刀邸での会談を経て、薩摩藩と長州藩は手を取り合い、薩長同盟が成立しました。

薩長同盟におけるそれぞれの思惑

薩摩藩にとって薩長同盟は、長州討伐による力の消耗を避けつつ倒幕運動を推進できる利点がありました。

一方、長州藩には武器の供給や孤立の解消が大きなメリットとして挙げられます。

坂本龍馬と中岡慎太郎にとっては、国力強化という大義のもと、また薩摩藩を通じた武器ビジネスへの関与という経済的メリットがあったとされています。

倒幕を目的としなかった?

一部の歴史研究では、薩長同盟が「倒幕を目的とした軍事的同盟ではなかった」という見方が提起されています。

この時期、長州藩は朝敵とされ、藩主である毛利敬親親子は官位停止の処分を受けていました。

佛教大学の青山忠正教授は、この同盟が実際には毛利家の官位復活を目指すものであり、「倒幕を意図した軍事同盟とは異なる『薩長盟約』『薩長の政治的提携』と呼ぶべきだ」と指摘しています(出典: 朝日新聞)。

史料にも「同盟」という言葉は見当たらず、内容は薩摩がすべきことが列挙されているだけで、長州の要望を薩摩が聞き入れたに過ぎないという見方もあります。

また、「薩長同盟の仲介者」とされる坂本龍馬についても「薩摩藩の利害を代弁するエージェント」だったという見解が存在します。

ライバルでなくても手を結ぶ日にしよう! まとめ

薩長同盟が明治維新への重要なターニングポイントであったことには変わりありません。

歴史は、受験勉強では主に暗記が中心となりますが、実際には新しい説や研究が次々と生まれる学問です。

大河ドラマや司馬遼太郎の『坂の上の雲』などが歴史に対する魅力を伝えていますが、それらはフィクションの域を出ません。

最新の研究に目を向けると、小説以上にドラマティックな真実が隠されていることがあります。

最後までお読みいただきありがとうございました!