1月13日は咸臨丸出航記念日だね。
咸臨丸は江戸時代の軍艦だったらしいけど。
勝海舟や福沢諭吉が乗り合わせたみたいね。
今回は、1月13日が咸臨丸出航記念日になった由来やおもしろ雑学など紹介するわ!
1月13日は咸臨丸出航記念日ですが、江戸幕府の軍艦として咸臨丸は有名だそうで、当時の外交の要と言っても良かったのかもしれません。
今回は、記念日ができた由来やおもしろ雑学などご紹介します!
1月13日は咸臨丸出航記念日
1月13日は咸臨丸出航記念日ですが、1860年に、江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が、日米修好通商条約の批准のために、勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎(通訳として)らの遣米使節を乗せ、品川沖を出航したことを記念する日です。
咸臨丸は、木造でバーク式の3本マストを備えた「蒸気コルベット」と呼ばれる軍艦で、咸臨丸の名前の由来は、古代中国の書物「易経」とされ、「君臣が互いに親しみ合う」との意味が込められていました。
ただ、この咸臨丸は機能面では他の軍艦に劣っていたこともあり、新政府軍に拿捕されてしまい、その後明治になってからも小樽への渡航中に遭難にあい、サラキ岬で沈没してしまいます。
結果、当時の軍艦として有名だった咸臨丸は、1984年に鉄製の朽ち果てた錨だけが残されることになりました。
学問のすすめの名言は誰の言葉?
咸臨丸に同行した福沢諭吉と言えば「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の名言で有名ですが、実はあの文章自体は福沢諭吉の言葉ではありません。
というのも、本を読めばわかりますが、この名言の後に「~と云えり」とあるからです。
この「云えり」という言葉の意味は、現代で言えば「~と言われています。」なので、福沢諭吉本人の言葉ではありません。
余りにも有名な言葉なので福沢諭吉の言葉だと勘違いされている方も多いですが、こちらの文章はあくまでも学問の重要性を説くために、福沢諭吉が引用した文章だったようです。
福沢諭吉は酒豪だった?
福沢諭吉は真面目なイメージをお持ちの方も多いと思いますが、実は幼少期からかなりの酒豪だったようです。
福沢諭吉は、何とかしてお酒をやめようと思い、タバコを吸い始めたそうですが、それでもお酒の方が勝っていて、禁酒を断念した過去もあると言います。
ただ、生活ではだらしない面があったものの、実は「居合の達人」としても知られ、立身新流居合の免許皆伝だったとの事実もあります。
俗説ではありますが、一日に千本以上の居合で刀を抜いたことがあり、「死因は居合のし過ぎ」などの話もあるくらいです。
福沢諭吉ですらやめられなかったお酒とたばこですが、偉人と言われる人物にも意外にもだらしない面があったようです。
1月13日の出来事一覧
1月13日は咸臨丸出航記念日ですが、過去の1月13日に起きたできごとなどを一覧でまとめてみましたので、参考にしてみてください。
1月13日が誕生日の芸能人は誰?
- 稲村 亜美(いなむら あみ):1996年1月13日生まれ。日本のタレント。
トヨタ自動車のCM「G’s Baseball Party」で、OL風スーツでの豪快な野球投球スイングが「神スイング」として話題となる。 - 中山 優馬(なかやま ゆうま):1994年1月13日生まれ。日本のタレント。
2013年まで、男性アイドルグループ「NYC」のメンバーとして活動。 - 大島 美幸(おおしま みゆき):1980年1月13日生まれ。日本のお笑いタレント。
お笑いトリオ「森三中」のボケ担当。
咸臨丸出航は当時の外交の走りだった? まとめ
それでは、1月13日が咸臨丸出航記念日になった由来やちょっとおもしろい雑学などご紹介してみました。
咸臨丸出航では、福沢諭吉や勝海舟、ジョン万次郎などが乗っていましたが、当時は重要な外交の走り的存在だったようです。
また、著名な福沢諭吉には名言や生活スタイルに意外な一面があり、偉人もやっぱり同じ人間だったということかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました!