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6月9日はまがたまの日!勾玉の歴史や由来など解説!何の日?

6月9日はまがたまの日!勾玉の歴史や由来など解説!何の日? 6月

6月9日はまがたまの日だね!

勾玉は三種の神器の1つだけど、いつからあるんだろ?

縄文時代にはすでにあったとされているわ。

今回は、6月9日がまがたまの日になった由来や歴史など紹介するわね!

島根県松江市に本部を置く株式会社めのやが、6月9日と9月6日を「まがたまの日」として制定しました。

この日付は、数字の「6」と「9」の形が勾玉の形状に似ていることに由来しています。

勾玉(まがたま)とは?

勾玉は古代から健康のお守りや魔除け、幸運を呼ぶとされてきました。

翡翠、瑪瑙、琥珀、鼈甲などから作られ、丸く膨らんだ部分に穴を開けて紐を通し、首飾りとして用いられます。

勾玉の歴史

日本最古の歴史書『古事記』には「曲玉」、奈良時代の『日本書紀』には「勾玉」と記されています。

語源は「曲がっている玉」から来ているとされます。

最古の勾玉は縄文時代の遺跡から発見されており、古墳時代には権威の象徴として、また奈良時代には仏像の装飾として使用されました。

三種の神器と勾玉

八尺瓊勾玉は、八咫鏡、天叢雲剣とともに「三種の神器」の一つであり、皇室に伝わる重要な品です。

皇居の「剣璽の間」に天叢雲剣の形代とともに保管されています。

勾玉の形状と価値

勾玉は曲がった形をしており、先端に孔が開いています。

古代には翡翠で作られたものが特に価値が高く、祭祀の捧げ物や死者の副葬品として用いられました。

勾玉の変遷

5世紀には赤いメノウや透明な水晶の勾玉が好まれるようになりました。

この時期、倭国と朝鮮半島の交流が活発になり、新しい文化や技術が日本に伝わったことが影響しています。

また、出雲地方では勾玉の産地として知られ、碧玉やメノウが採掘され、勾玉の工房も多く存在しました。

勾玉の形の謎

勾玉がなぜあのような形をしているのかについては、いくつかの説があります。

  1. 骨や牙の魔除け説 石器時代に動物の骨や牙を魔除けとして身に付けていたものを、後に石で作るようになった。
  2. 月信仰説 月を神聖視していた時代に、石を月の形に削り、身に付けるようになった。
  3. 胎児説 始まりの形である胎児を模して、若さと力を象徴するために作られた。

他にも、釣り針説や縄文時代・中国から伝わった耳飾りを改造したという説もあります。

勾玉の用途

奈良県の唐子・鍵遺跡では、不老長寿の薬の中から翡翠の勾玉が発見されています。

大阪府の池上曽根遺跡では、神殿の柱の下から翡翠の勾玉が出土しています。

このように、勾玉は単なる装飾品ではなく、目に見えない場所に埋められたり、お守りとしての意味合いを持っていたようです。

勾玉のモデルについて

「勾玉は何をモデルにしているのですか?」と尋ねられることがあります。

熊や猪の牙、胎児、三日月など、さまざまな説がありますが、結論としては「わかりません」

勾玉の歴史と形状

縄文時代には、異形勾玉と呼ばれる不思議な形のものがありました。

弥生時代になると、ドーナツを半分に切ったような形の勾玉が現れ、これは稲作とともに大陸から伝わった形と考えられています。

その後、頭部が丸く体部が長い一般的な形の勾玉が登場し、古墳時代には翡翠や瑪瑙など様々な石材で作られるようになりました。

初期の丁字頭(ちょうじがしら)と呼ばれる勾玉の頭部には、タコ糸巻きのハムのような盛り上がりが見られることから、元々は柔らかい素材で作られていたと思われます。

このように、勾玉の形は時代によって異なり、そのモデルやルーツも変わってきたようです。

現代の勾玉イメージ

多くの人が思い浮かべる頭が大きいオタマジャクシのような形の勾玉は、古代の勾玉には見られません。

この形が一般的に想像されるようになったのは、神社や仏閣で見かける日本古来の巴紋や、古代中国の道教における陰陽のシンボルである太極図などが影響しているためではないでしょうか。

勾玉は三種の神器の1つ! まとめ

勾玉は日本の歴史や文化に深く根付いた装身具であり、その形や価値、用途は時代とともに変化してきました。

三種の神器の一つとしても知られる勾玉は、古代から現代に至るまで日本の伝統と文化を象徴する存在です。

記念日には、ぜひ勾玉についての造詣を深めて、勾玉の歴史やロマンを感じ取ってみてください。

最後までお読みいただきありがとうございました!