
12月6日はシンフォニー記念日だね!
てっきりクラシックだと思ってたら、山田耕筰が関連してたよ。

シンフォニーって、楽器の響きってイメージなのよね。
今回は、12月6日がシンフォニー記念日になった由来など紹介するわ!
12月6日は「シンフォニー記念日」なんです。
実はこの日、日本の音楽史に大きな転換点となる出来事が起こりました。
12月6日はシンフォニー記念日

今回は、109年前の今日に起きた音楽界の奇跡と、その立役者となった驚くべき人物についてお話ししたいと思います。
- 日本初の交響曲が生まれた背景
- 作曲した山田耕筰という天才の素顔
- 当時の音楽界への影響
- 世界を驚かせた快挙の数々
- 現代に残る貴重な功績
1914年12月6日、ドイツのベルリンから帰国したばかりの山田耕筰が、日本人として初めて作曲した交響曲『かちどきと平和』を発表しました。
この出来事は、日本の音楽史に大きな一歩を記すことになったんです。
私の74歳の父は音楽好きで、山田耕筰の話をよく聞かせてくれました。
「当時の日本人が交響曲を作曲するなんて、まさに革命的なことだったんだよ」と。
山田耕筰ってどんな人?
山田耕筰って、どんな人だったのでしょうか。
1886年に生まれ、1965年に亡くなるまで、日本の音楽界を牽引し続けた天才音楽家です。
実は私の母も76歳になりますが、学生時代に山田耕筰の曲を合唱で歌ったことがあるそうです。
「日本語の抑揚を大切にした曲で、とても歌いやすかった」と懐かしそうに話してくれました。
山田耕筰の業績
山田耕筰の凄さは、日本の伝統的な言葉の抑揚を活かしながら、西洋音楽の技法を見事に融合させたところにあります。
それまでの日本には、西洋式の本格的な管弦楽団さえありませんでした。
そこで彼は、日本で初めての管弦楽団を立ち上げたんです。
今では当たり前に聴けるオーケストラの演奏も、実は山田耕筰の情熱から始まったものだったんですね。
44歳の弟は音楽のことはあまり詳しくないのですが、「軍歌の『戦友』を作った人でしょ?」と言っていました。
確かにその通り。
山田耕筰は数々の軍歌も手がけています。
アメリカのカーネギーホールでも演奏?
しかし、彼の活動は日本国内に留まりませんでした。
なんと、アメリカのカーネギーホールで自作の管弦楽曲を演奏したり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したりと、世界的な活躍をしていたんです。
45歳の弟が「へぇ、そんな昔から日本人が海外で指揮をしていたんだ」と驚いていましたが、まさにその通り。
山田耕筰は、欧米で名を知られた最初の日本人音楽家だったんです。
シンフォニーの意味

シンフォニー(symphony)という言葉には、「交響曲」の他に「調和」という意味もあります。
山田耕筰は、東洋と西洋の音楽を見事に調和させ、新しい日本の音楽を作り上げていったんですね。
交響曲というと、なんだか難しそうなイメージがありますよね。
でも、管弦楽による大規模な楽曲のことで、いくつかの楽章で構成されているんです。
今でこそ当たり前に聴ける音楽も、109年前は画期的な出来事だったんですね。
1965年のこの日に彼は亡くなりましたが、その功績は現代の日本の音楽界にしっかりと息づいています。
シンフォニー記念日には音楽を楽しもう! まとめ
今、私たちが当たり前のように楽しんでいるクラシック音楽。
その扉を開いてくれたのが山田耕筰だったと思うと、12月6日という日が特別な意味を持って感じられます。
あなたも今日を機会に、山田耕筰の曲を聴いてみませんか?
きっと、109年前の感動が今に響いてくるはずです。
最後までお読みいただきありがとうございました!


