4月30日は国際ジャズ・デーだね!
喫茶店と言えば、ジャズと言われた世代もあったよね。
今でもジャズ喫茶はレトロな感じがたまらないわ。
今回は、4月30日が国際ジャズ・デーになった由来など紹介するわね!
4月30日は「国際ジャズ・デー」として知られ、この日はジャズ音楽を通じて世界中の文化理解を深め、平和と団結を促進する目的で設けられました。
4月30日は国際ジャズ・デー
この記念日は、2011年11月にフランスのパリで開催されたユネスコ総会で制定され、翌2012年から毎年実施されています。
「国際ジャズ・デー」は、195のユネスコ加盟国をはじめとして、教育機会に恵まれない地域の若者たちにジャズを伝え、ジャズを教育ツールとして使用することで、平和、対話、多様性の促進を目指しています。
また、ジャズの普及により、表現の自由や男女平等、社会的変革を推進する力としての役割も担っています。
毎年、この日には世界各地でジャズコンサート、ワークショップ、セミナーが開催され、ジャズの多様な表現とその文化的意義が広く共有されます。
国際ジャズ・デーの目的
この記念日は、2011年にフランスのパリで開催されたユネスコ総会で制定され、翌2012年から毎年この日がジャズ音楽を通じた国際的な祝祭となりました。
国際ジャズ・デーの目的は、ジャズを通じて異なる文化間の理解を深め、全世界での平和と協力を促進することです。
また、教育の機会に恵まれない地域の若者たちに音楽教育を提供し、ジャズを平和の構築や社会的変革の手段として用いることも重視されています。
この日には、世界中のアーティストや教育者が参加し、コンサート、ワークショップ、セミナーなどのイベントが開催されます。
これらの活動を通じて、ジャズの豊かな歴史とその社会における影響を祝い、さらには人権の尊重や表現の自由、差別の撤廃など、多くの重要なメッセージが共有されます。
日本のジャズの歴史
1970年代中盤、日本のジャズシーンは大きな変化を迎えました。
それまで主に器楽が中心であったジャズの世界において、女性ボーカリストたちが新たな存在感を示し始めました。
当時、秋吉敏子などの国際的な奏者を輩出しながらも、女性アーティストが前面に出ることは少なかったのです。
1950年代、江利チエミやペギー葉山などのジャズ歌手がいましたが、彼らはやがて歌謡曲へと転身。
マーサ三宅のような実力派もいましたが、彼女の後継者を見つけることは容易ではありませんでした。
日本では1950年代にビバップが流行し、ジャズはさらに技術的な音楽へと進化しましたが、これが歌手にとっての挑戦となりました。
1970年代のフュージョン
1970年代に入ると、フュージョンが流行し、女性ボーカリストに新たな機会が訪れます。
特に注目されたのが笠井紀美子です。
彼女は1960年代から活動を始め、1971年にカップヌードルのCMで歌を披露して注目を集めました。
アメリカでのレコーディングを経て、フュージョンへと舵を切り、その後は多くの有名ミュージシャンと共演。
彼女の音楽は、従来のジャズに留まらず、多様なジャンルの要素を取り入れたものでした。
1970年代のアメリカでは?
1970年代のアメリカでは、ジョージ・ベンソンのアルバム「ブリージン」が大ヒットし、フュージョンが主流となります。
これに触発された日本では、阿川泰子が新たなスタイルを確立。
彼女はもともと女優として活動していましたが、ジャズボーカリストとしての才能が開花。
ハスキーな声と独特の歌唱スタイルで、瞬く間にトップアーティストの仲間入りを果たします。
また、1980年代には彼女の楽曲がロンドンのクラブシーンでも注目されるなど、国際的にも評価されました。
国際ジャズデーはぜひジャズの名曲を聴いてみよう! まとめ
以上のように、女性ジャズボーカリストたちがジャズの世界に新しい息吹をもたらした1970年代は、ジャズの歴史の中でも特に重要な時期であったと言えるでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました!