4月8日は忠犬ハチ公の日!意味や由来など解説!今日は何の日? | トレトレの昨日の?を今日で解決!
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4月8日は忠犬ハチ公の日!意味や由来など解説!今日は何の日?

4月8日は忠犬ハチ公の日 4月

4月8日は忠犬ハチ公の日だね!

犬は人について猫は家につくって言うけど、確かに忠犬かも。

人語を解せたら、待ち続けることもなかったのにね。

今回は、4月8日が忠犬ハチ公の日になった理由など紹介するわ!

4月8日は、日本で「忠犬ハチ公の日」として知られています。

この日は、ハチ公の命日である3月8日から1か月後に設定されており、ハチ公銅像及び秋田犬群像維持会によって制定されました。

4月8日は忠犬ハチ公の日

ハチ公は1923年に生まれ、東京大学の上野英三郎博士に飼われていました。

博士の急逝後もハチ公は渋谷駅で主人の帰りを毎日待ち続けたことで知られ、「忠犬」として親しまれるようになりました。

ハチ公の銅像は初めて1934年に渋谷駅前に建立されましたが、第二次世界大戦中に資源として供出され、戦後の1947年に再建されました。

この日は、ハチ公の故郷である秋田県大館市や渋谷で慰霊祭が行われています。

ハチ公像は二代目?

実は、現在渋谷駅前にあるハチ公像は2代目で、戦時中の資源不足のために初代の銅像が溶かされた後、再び建てられたものです。

ハチ公は生前から忠犬として有名であり、今日でも渋谷の象徴として、世界中の人々に感動を与え続けています。

戦後の渋谷に、忠実な秋田犬ハチ公の姿が再び現れました。

1948年8月、世界中から愛されるハチ公への慕情と、GHQの愛犬家からの支援を受けて、初代ハチ公像を手掛けた安藤照氏の息子、安藤士氏により、渋谷駅前にハチ公像が再建されました。

戦時の金属回収で生還したもの

初代のハチ公像は戦争で失われましたが、戦時の金属回収によって失われた多くの銅像の中には、運良く生還した者もいます。

例えば、日本橋の三越本店前にある二体のライオン像は、トラファルガー広場のライオン像を模して英国の彫刻家によって制作され、戦時中には海軍省に供出されましたが、戦後に三越の社員によって発見され、日本橋に戻ることができました。

このライオン像は、関東大震災と戦争を乗り越え、「日本橋の生き証人」として語り継がれています。

忠犬と呼ばれた理由

ハチ公自身は、博士が急死した後も毎日駅前で待ち続け、その忠誠心から「忠犬」として称えられました。

ハチ公は博士と同じ青山霊園に葬られ、剥製は国立科学博物館に保管されています。

ハチ公に関する話は映画「ハチ公物語」などで知られていますが、4月8日がハチ公の日とされるのは、1934年のこの日にハチ公の初代銅像が建てられたからです。

青ガエルのモニュメント

また、渋谷駅前には、渋谷と秋田犬の縁を象徴するもう一つのモニュメント、「青ガエル」が設置されていました。

これは、渋谷区が東京急行電鉄から譲り受けた旧5000系電車で、今年6月に秋田県大館市に移設されます。

「青ガエル」の移設は、両市区の親交を深めるため、秋田犬を通じた交流を象徴する一環として計画されています。

ハチ公の物語は海外にも

ハチ公の物語は、日本だけでなく海外にも広がり、秋田犬は日露友好のシンボルとなっています。

秋田犬は、ヘレン・ケラーに贈られた「神風号」をはじめ、国際交流の架け橋として機能しています。

1923年11月、秋田県大館市で誕生した秋田犬ハチは、生後間もなく東京帝国大学の上野英三郎教授に引き取られ、渋谷での新しい生活を始めました。

上野博士と深い絆を築いたハチは、毎日博士の通勤に同行し、渋谷駅での見送りと出迎えを欠かしませんでした。

しかし、博士が1925年に急逝してからも、ハチは約10年にわたり渋谷駅で博士の帰りを待ち続ける姿が、多くの人々に感動を与え、「忠犬ハチ公」と称えられるようになりました。

ハチ公像はハチ公の生前に建てられた

この忠実な姿勢は全国に知れ渡り、1934年、ハチ公への敬愛の象徴として、渋谷駅前に銅像が建立されました。

ハチ自身もこの除幕式に出席しましたが、翌1935年3月8日、ハチは11歳で世を去りました。

上野博士の隣に埋葬されたハチの物語は、後世に伝えられています。

忠犬ハチ公のどこか悲しい物語 まとめ

ハチ公の物語は、忠誠と愛情の深さを象徴し、現在でも多くの人々に感動を与え続けています。

毎年、ハチ公の命日に近い4月8日には、渋谷駅前で慰霊祭が執り行われ、ハチ公への敬意と感謝が表されています。

最後までお読みいただきありがとうございました!