1月22日は飛行船の日!
日本で初の飛行船とか世界最大の飛行船とか、空に関する大切な記念日だね。
飛行船は飛行機とはまた違った魅力があるわよね。
今回は、1月22日が飛行船の日になった由来など紹介するわ!
1月22日は「飛行船の日」として知られています。
この日は、1916年に日本で初めての国産飛行船が成功裏に飛行した記念すべき日です。
1月22日は飛行船の日
この飛行船、「雄飛」と名付けられ、日本陸軍のために製造されました。
しかしながら、エンジンの問題から所沢への帰還飛行は実施されず、飛行船は分解されて陸送されました。
「雄飛」は、軟式のパルセバール式飛行船で、その規模は容積1万m³、重量8.1トン、全長85.0m、全幅15.5m、全高22.5mで、乗組員は6~12名でした。
巡航速度は57.6km/h、最大速度は68.4km/h、最高飛行高度は2.5km、最大航続時間は20時間でした。
この歴史的な飛行船「雄飛」にちなんで、製造地である埼玉県所沢市では「雄飛焼き」という焼き菓子が販売されています。
1930年には「帝国優良品大審査会壱等賞金牌」を受賞し、その伝統的な味わいで所沢の名物として親しまれています。
日本で最初に飛行に成功した飛行船は?
また、日本で最初に飛行に成功した国産飛行船は、山田式1号飛行船です。
これは、1910年に気球製作所の所長・山田猪三郎によって制作されました。
この飛行船は、大崎の山田気球製作所から駒場の農科大学まで、初めての野外飛行を成功させました。
しかし、2号機の野外飛行ではエンジンの不調で風に流され、青山練兵場に不時着してしまい、損傷を受けました。
「ツェッペリン伯号」飛行船が来日?
1929年8月19日、当時世界で最も巨大だった「ツェッペリン伯号」飛行船が、北半球を周遊する世界一周の旅の途中で日本を訪れました。
この圧巻の飛行船は、全長235メートルにも及ぶ壮大なサイズで、その存在感は圧倒的でした。
「ツェッペリン伯号」とは、20世紀初頭にドイツのフェルディナンド・フォン・ツェッペリン伯爵が開発した一連の飛行船を指す名称です。
特にこの時来日したのは「グラーフ・ツェッペリン号」とも呼ばれる、伯爵の名を冠した飛行船でした。
「ツェッペリン伯号」の着陸場所
「ツェッペリン伯号」の着陸が行われたのは、海軍航空隊の飛行場であり、その歓迎や着陸の手配は主に海軍省によって行われました。
そのため、海軍省だけでなく、外務省、逓信省、陸軍省といった複数の官庁間で、着陸場所、航路、日程などの細かい調整が行われました。
ラジオによる中継放送も行われた
この大事件に際し、日本放送協会は海軍大臣の許可を得て、ラジオによる中継放送を行いました。
この放送は、「ツェッペリン伯号」が着陸地点に近づくにつれ、飛行船からの通信内容をニュースとして放送し、着陸の様子や歓迎セレモニーでの挨拶を生中継するというものでした。
この生中継の臨場感は、多くの人々の興味を惹きつけ、その熱狂は計り知れません。
「ツェッペリン伯号」の来日は、空を旅する夢を持つ人々に対する答えであり、そのロマンが多くの人々に感動を与えた出来事でした。
飛行船は当時の人に夢とロマンを与えた まとめ
1月22日は、飛行船の歴史を称える「飛行船の日」です。
この日は1916年に日本で最初の国産飛行船が飛行試験を成功させた記念すべき日として、特別な日とされています。
記念すべきその日に空を舞ったのは、陸軍が所有していた「雄飛号」という名の飛行船でした。
この巨大な航空機は、長さ約75メートル、幅約25メートルにも及びます。
約5時間かけて最終目的地の大阪に無事着陸しました。
最後までお読みいただきありがとうございました!