1月12日は桜島の日だね!
僕は鹿児島に行ったことがないんだけど、かなり大きな噴火だったって聞くよ。
日本は火山列島だから、噴火も多いのよね。
今回は、1月12日が桜島の日になった由来など紹介するわ!
桜島の日は、1914年1月12日に起こった歴史的な大噴火、通称「大正大噴火」を記念しています。
この噴火は、鹿児島県に位置する桜島で発生し、約1ヶ月間にわたる爆発と溶岩流出により、大きな被害をもたらしました。
1月12日は桜島の日
大正大噴火により58人が亡くなり、溶岩流は桜島と大隅半島を陸続きにしました。
この噴火では、火山灰が九州から東北地方にまで及び、軽石や降下物の総量は約32億トンに達しました。
桜島の地盤は最大約1.5m沈降し、この現象は桜島北側の海上に同心円状に広がりました。
気象庁は、日本の活火山の状況や防災行動に関する噴火警戒レベルを公表しており、富士山の警戒レベルは最低レベルである「平常」に設定されています。
また、富士山での噴火避難訓練も行われており、過去の噴火データや予測に基づいて、万が一の噴火に備える取り組みが進められています。
神戸大学の研究によると、巨大噴火の発生確率も推計されており、日本全土に影響を及ぼす可能性があることが指摘されています。
宝永噴火とその影響:歴史と現代への警鐘
宝永噴火は江戸時代、1707年に起きた富士山の大規模な噴火で、関東地方全域に火山灰が降り注ぎました。
この噴火の噴出物は、東京ドーム約1400杯分にも相当し、農地にも大きな影響を及ぼしました。
金井島村(現在の神奈川県開成町)の記録によれば、この噴火の影響で年貢米の生産量は、約40年後も噴火前の3分の1までしか回復していませんでした。
宝永噴火の江戸時代の被害
噴火により、江戸では咳の流行や飢饉、人口減少など、長期にわたる社会への影響が見られました。
現代で同規模の噴火が起きた場合、火砕流や泥流の発生、東京にも火山灰が降り積もる可能性があり、航空路への影響も懸念されています。
宝永噴火の証人とされる根上がりモミは、地表から2メートル近くも根がせり出しています。
また、日本は世界の陸地面積の0.25%にもかかわらず、活火山の7%を占める火山大国です。
山梨県は「富士山噴火時避難ルートマップ」を公開し、気象庁は登山者向けの情報も提供しています。
桜島大噴火の歴史的記録
1914年(大正3年)1月12日の午前10時頃、桜島で歴史的な大噴火が発生しました。
最初に桜島の引の平付近で爆発が起き、続いて鍋山付近でも爆発が発生しました。
この噴火によって生じた噴煙は約7,000メートルの高さに達し、その影響は遠くカムチャツカ半島まで及んだとされています。
この噴火で流れ出た溶岩は、烏島を覆い尽くし、瀬戸海峡を埋め立てました。
溶岩の総量は約30億トンと推定されています。
この大噴火により、焼失または埋没した家屋は約12,000戸に上り、灰の堆積は最深部で約3メートルにも達しました。
この結果、約16,000人が桜島からの移住を強いられる事態となりました。
この噴火は、桜島の歴史、そして周辺地域に大きな影響を与えた重要な出来事として記憶されています。
鹿児島の名産品:芋焼酎
鹿児島県では、さつまいもを原料にした芋焼酎が有名です。
この焼酎は、コガネセンガンなどのさつまいもを使用し、製品に独特の香りや甘味を与えています。
一次モロミとして麹米を使用し、その後生いもを加えて二次モロミを作ります。
これを10〜15日熟成させてから蒸溜します。
近年は製造技術の向上により、芋特有の風味と軽い甘味が好評を得ています。
桜島の噴火は再発の可能性も高い? まとめ
大正年間の噴火では、大量の溶岩が流れ出し、かつては島であった桜島と大隅半島が陸続きになりました。
昭和の噴火(1946年)は、溶岩を流した最後の噴火とされています。
その後、1955年からは火山灰を伴う噴火活動が続いており、現在も南岳の山頂火口や南岳東側斜面の昭和火口が活発な活動を見せています。
このように、桜島は長い歴史を通じて様々な変化を遂げてきました。
最後までお読みいただきありがとうございました!