「冬至から畳の目だけ伸びる」なんて言われることもあるけど。
これってどういう意味があるのかな?
畳の目が藺(い)の節に代わることもあるわよね。
今回は「冬至から畳の目ほど日が伸びる」にはどんな意味があるのかなど紹介するわ!
「冬至から畳の目ほど日が伸びる」とか「冬至から藺(い)の節だけ伸びる」なんて言葉がありますが、両者は同じ意味があるそうです。
今回は「冬至から畳の目ほど日が伸びる」の意味や藺(い)の節との違いなどご紹介します!
「冬至から畳の目ほど日が伸びる」の意味は?
まず、よく比較される「冬至から畳の目ほど日が伸びる」の意味と「冬至から藺(い)の節だけ伸びる」の意味は同じで、最も昼の長さが短い冬至を過ぎると、畳の目(藺の節)ほど、少しずつ一日と日差しが長くなるとの意味があります。
「藺」とは「い草」を指し、畳やござの材料となる多年草の1つですが、そもそも「藺」には節がなく、ことわざの意味を考えると??となります。
ただ「藺の節」が、い草で作られた「畳の目」を指しているとすればしっくり来ますよね。
「冬至から藺(い)の節だけ伸びる」の意味
「冬至から藺(い)の節だけ伸びる」の意味をまとめると、以下のようになります。
ただ、これを実践すると、畳がボロボロになるのであくまでイメージです。
ちなみに、「冬至から藺(い)の節だけ伸びる」の類義語には「冬至から毛筋一本程長くなる」「冬至から畳の目一つだけ長くなる」「冬至から菜刀の柄程長くなる」などのことわざもあります。
「今日から1粒ずつ日が長くなる」は類義語?
「冬至から藺(い)の節だけ伸びる」と「冬至から畳の目ほど日が伸びる」は同じ意味ですが、地域によっては「今日から1粒ずつ日が長くなる」という使い方をする所もあるそうです。
この1粒とは米1粒を指しているようですが、畳の目の方が一般的かなと思います。
座敷に入る日光や窓の桟の日影の長さは、冬至には最も奥まで差し込みますが、その長さが畳の目に例えられ、明日から「米1粒ずつ」ほど短くなると表現しているのでしょう。
世間では昔から「日足が短くなった」と言っていましたが、「冬至から畳の目ほど日が伸びる」と「今日から1粒ずつ日が長くなる」の意味は同じと推測できます。
冬至から伸びる日の長さはどれくらい?
辞典の「成語林」によると「昼の長くなる進みぐあいは、一日あたり約2分である。」などと書かれていますが、これは正しくありません。
日に二分も変化するのは、春分や秋分など一番変化の激しい時期ならあり得ますが、冬至直後に2分も伸びるのは言い過ぎなんですね。
つまり、冬至を過ぎた後、確かに日は伸びていきますが、本当に「畳の目(藺の節)だけ伸びる」くらいのゆっくりしたペースで、一日に10秒ずつ伸びていきます。
緩やかすぎるスピードではありますが、もし「冬至から畳の目ほど日が伸びる」ということわざを知っていれば、その緩やかな変化にも気づくことができるかもしれませんね。
「冬至から畳の目ほど日が伸びる」は1日に10秒 まとめ
それでは「冬至から畳の目ほど日が伸びる」の意味や「冬至から藺(い)の節だけ伸びる」の意味、実際に日が伸びる長さの目安などご紹介してみました。
「冬至から畳の目ほど日が伸びる」は、藺(い)の節と同じで、本当にごくごくわずかな単位です。
もし、冬至が来たら、これから畳の目だけ、少しずつ伸びていくんだと意識できれば、より季節の変化を感じられるのかな?と思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!