江戸時代の衣替えは年に4度もあった?江戸の衣替えの由来と豆知識! | トレトレの昨日の?を今日で解決!
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江戸時代の衣替えは年に4度もあった?江戸の衣替えの由来と豆知識!

江戸時代の衣替えは年に4度もあった? 10月

現代の衣替えは、基本的に年に2回だよね。

でも、江戸時代には年に4度もあったみたいで、現代よりも多いのは意外だったよ。

年に4度も衣替えがあったのは、幕府が取り決めていたかららしいわ。

今回は、江戸の衣替えの豆知識など紹介するわね!

現代では、春と秋の年に2度の衣替えが一般的ですが、江戸時代には年に4度も衣替えがあったそうです。

今回は、江戸時代の衣替え事情など、ちょっとした豆知識をご紹介します!

江戸時代の衣替えが年に4度もあった理由

今もそうですが、毎年一定の日取りを決めて、夏服と冬服に取り換える習慣は江戸時代にもありました。

なぜなら、湿度の高い日本ではその方が都合が良かったからで、衣替え=更衣の風習は江戸時代の大名などの間にも広がりを見せます。

ただ、現代とは違い、江戸時代には年に4度も衣替えがあったそうで、理由は、江戸の町は当時非常に寒く、4月1日から夏服に着替えるのは季節に合わないと考えられていたからです。

江戸時代の衣替えの内容

なので、幕府は5月5日の端午の節句の時期から8月31日までは夏服を用いるようにとしました。

結果的に、江戸時代には年に4度も衣替えが行われ、旧暦の4月1日~5月4日までが裏地のある「袷(あわせ)」、5月5日から8月末までは裏地のない夏用の「帷子(かたびら)」、9月1日から9月8日までは、春と同じ「袷」、9月9日から3月末までは「綿入れ」と、衣替えを4回に分けていたんですね。

その後、明治時代になると、洋装に合わせた衣替えが実施されるようになり、今のように6月1日と10月1日が衣替えの時期として認知されていったようです。

衣替えの由来は平安時代から

衣替えの由来は、平安時代からとされますが、実は平安時代にはまだ衣服を分けて着る習慣はありませんでした。

ただ、春の温かさを感じる旧暦の4月1日に「綿貫(わたぬき)」と呼ばれる、衣服から綿を抜く作業、10月1日になると再び綿入れをして着るなどの風習があったため、これが現代でいう所の衣替えの始まりとも言われています。

実際、平安時代の宮中では、上記でも説明した「綿貫」などの「更衣」の風習があったのは事実のようで、当時の貴族は4月1日から9月末までは、裏地のない単衣を着用していたようです。

また、10月1日から3月末までは、綿入りの衣服「袷(あわせ)」を着ていたそうですから、今の衣替えとも似ており、これが衣替えの由来といっても良いと思います。

今の衣替えが生まれたのは明治時代から?

現在のように、夏服の着用期間が6月1日から9月末まで、冬服が10月1日から5月末までと、衣替えの時期が決められたのは、明治時代からとされています。

ただ、現代では、江戸時代のように幕府などが取り決めているわけでもなく、服装も自由に変えられること、また、衣服を年中しまっておけるクローゼットなどが普及したことなどから、衣替えをしない方も増えているようです。

とはいえ、衣替えをしないで、夏服と冬服が乱雑にしまわれていると、着る衣服を選ぶ時に時間がかかるなどのデメリットもありますし、衣服がかびるなどの問題も出てくるので、できれば衣替えをして、年に2度くらいは衣服のメンテナンスは行った方が良いと思います。

収納のペースは人それぞれですが、一気に衣替えをするよりも、季節ごとに分ける=年に4度の衣替えの方が時間にも余裕が出ることもあるため、年に4度の衣替えは案外日本の風土で見ると、理にかなった作業なのかもしれません。

江戸の衣替えは理にかなっていた? まとめ

それでは、江戸時代に年に4度も衣替えがあった理由、衣替えの内容、衣替えの由来などご紹介してみました。

言葉こそなかったもの、衣替えの由来は平安時代にあるとされ、江戸では当時の気候から、幕府が衣替えの時期を決めていたようですね。

今の衣替えが生まれたのは明治時代とされており、年に2度の衣替えがメジャーな現在ではありますが、衣替えは季節に合わせて行った方が効率的とも言われています。

その意味では、江戸時代の年に4度の衣替えの方が理にかなっていたと言えるでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました!