
6月13日は鉄人の日だね!
衣笠祥雄ってどんな選手だったんだろ?

私も良く知らなかったから、調べてみたわ。
今回は、6月13日が鉄人の日になった由来など紹介するわね!
1987年のこの日、広島東洋カープの衣笠祥雄(きぬがさ さちお、1947~2018年)選手が2131試合連続出場の世界記録を達成しました。
それまでの記録は、アメリカ大リーグのルー・ゲーリッグ(Lou Gehrig、1903~1941年)選手の2130試合でした。
鉄人衣笠祥雄とは

記録を更新した際、衣笠は「いつか、誰かにこの記録を破ってほしい」とコメントを残しています。
衣笠の記録はアメリカでも高く評価されており、彼の名前はアメリカで最も知られている日本人野球選手の一人です。
1987年6月22日には、王貞治選手に次ぐプロ野球選手として二人目の国民栄誉賞を受賞しました。
同年、満足に守備ができなくなったことを理由に現役を引退しました。
連続試合出場の世界記録
衣笠祥雄選手が達成した連続試合出場の記録は、アメリカ大リーグのルー・ゲーリッグ選手の2130試合を超えるもので、「鉄人の日」の由来となっています。
衣笠選手は長年にわたり一日も休むことなく野球に情熱を注ぎ続けました。
彼の粘り強さと体の丈夫さは今も多くの人々に語り継がれています。
国民栄誉賞の授与
1987年6月22日、連続試合出場の記録を達成した衣笠選手は、王貞治選手に次ぐプロ野球選手として二人目の国民栄誉賞を受賞しました。
この栄誉は、彼の野球に対する貢献を称えるものです。
「鉄人」の愛称とその由来
衣笠選手の「鉄人」という愛称は、彼の背番号「28」と、漫画『鉄人28号』に由来しています。
この愛称は彼の体の頑丈さを象徴しており、小柄な体格ながらも非常に強靭な体を持っていました。
連続試合出場の価値
連続試合出場の記録は、選手の精神力や体力、そしてチームへの貢献度を示すバロメーターです。
日々の厳しいトレーニングや試合に耐え、怪我をせずにフィールドに立ち続けることは、想像を絶する努力と根性が必要です。
衣笠選手の記録は、それを体現したものです。
記録の社会的影響
衣笠選手の記録は野球界だけでなく、社会にも大きな影響を与えました。
彼の粘り強い姿勢は多くの人々に夢と希望を与え、アメリカでも高く評価されています。
記録は国境を越えて人々を繋ぐ力を持っていると言えるでしょう。
記録更新への挑戦
衣笠選手の記録は今後も破られる可能性があります。
スポーツの世界では常に新たな才能が現れ、歴史を塗り替えることがあります。
次世代の選手たちがこの記録を目指し、達成する日を心待ちにしています。
野球というスポーツの未来
野球は今後も多くの人々に愛され続け、新たな記録や伝説が生まれる場です。
衣笠選手のようなレジェンドがいることで、野球の魅力はさらに高まります。
日本の野球界はこれからも世界に誇れる選手を輩出し続けるでしょう。
衣笠選手の記録が示すように、不可能と思えることに挑戦し続ける精神は、野球を愛するすべての人々にとって大切な教訓です。
「鉄人」衣笠祥雄のプロフィール
- 衣笠祥雄 (元広島東洋カープ) 1947年1月18日生まれ、京都市東山区出身。
- 平安高校時代には、3年生の春と夏に2度甲子園に出場し、いずれもベスト8に進出。
- 1965年に平安高校から広島東洋カープに入団し、1987年に現役を引退するまでの23年間、日本プロ野球の第一線で活躍し続け、数々の輝かしい実績を残した。
その間、2215試合連続出場という不滅の世界記録を達成。
プロ生活23年間で歴代2位の161死球。
怪我や不調があっても「常にフルスイング」で知られていた。 - 「鉄人」の愛称は、衣笠祥雄のためにある称号。
- 1987年には王貞治に続き、プロ野球選手として2人目の国民栄誉賞を受賞。
- 連続出場の記録だけでなく、毎年コンスタントに20本塁打以上を打ち続け、通算504本塁打(歴代7位)を記録したホームランアーティストでもあった。
- ちなみに、三振数も歴代6位の1587個。
1987年、ニューヨークヤンキースのルー・ゲーリッグが保持していた連続試合出場の世界記録2130試合を更新し、2215試合連続出場を達成。
この記録はその後カル・リプケンJr.の2632試合に更新されるも、世界2位、国内1位の記録。 その功績を称え、背番号「3」は広島カープの永久欠番となっている。
記録達成時のファンへの挨拶で残した「私に野球を与えてくれた神様に感謝します」は、日本球界の名言となった。
赤ヘルブームの立役者であり、日本一も経験。
山本浩二と共に「鉄人&ミスター赤ヘル500本コンビ」として、広島カープの黄金時代を築いた。
まさに「ミスター平安」、平安を象徴する野球部OBである。
鉄人は衣笠祥雄のための称号! まとめ
「鉄人」の愛称は、1974年(昭和49年)までの背番号「28」と、横山光輝の漫画『鉄人28号』に由来します。
その愛称が示す通り、野球選手として小柄な体格ながら、非常に丈夫な体を持っていました。
最後までお読みいただきありがとうございました!


