ひな祭りって何となく歴史を感じるお祭りだけど。
一体いつから始まったのかな?
平安時代からっていうのを聞いたことがあるわ。
今回は、ひな祭りがいつから始まったのか、本当の由来や歴史など紹介するわね!
こんにちは。トレトレです。
ひな祭りのシーズンは、女の子のお祭りということで定着していますが、いつから始まったかご存じですか?
今回は、ひな祭りがいつから始まったのか、本当の由来と歴史をご紹介します!
ひな祭りはいつから始まったの?
ひな祭りがいつから始まったのか、正確な日時はありませんが、由来は平安時代の「ひな遊び」とするのが有力な説です。
つまり、最初は公家などの貴族の遊びからひな祭りは始まったらしいんです。
また、平安時代に始まった説を裏付ける風習に「流し雛」と呼ばれる、厄を背負ったひな人形を川に流すというのもあります。
なので、今でもひな人形は「厄除け」や「守り雛」としての役割があり、女の子の安全を祈願する意味合いもあります。
平安時代の作品といえば「源氏物語」が有名ですが、こちらの作中にも「須磨の巻き」のくだりで、光源氏が巳の日になると、陰陽師に依頼して船に人形を乗せて流すという部分もあります。
最初は女の子限定ではなく、自分の身の穢れを流すとの意味合いが強かったということですね。
江戸時代のひな祭りとは?
ひな祭りの起源は平安時代説が有力ですが、江戸時代にもひな祭りは祝われていました。
江戸時代では女の子の「人形遊び」と男の子の「節句の儀式」がミックスされ、全国にひな祭りが広がたんですね。
ちなみに、今のように3月3日にひな祭りを祝うようになったのは安土桃山時代とされます。
また、江戸時代初期では「形代(かたしろ)」の名残が残る「立雛」や「坐り雛」も作られるようになります。
江戸時代には、「内裏雛(だいりびな)」が一対飾られ、現代のように五人囃子などが飾られるのは江戸時代後期になってからです。
ほかにも、江戸時代には嫁入り道具のひとつとしてひな人形があり、一時期大型の人形が廃止されるなど、倹約の影響で逆に人形の精密さは増しました。
ひな祭りは習合行事?
ひな祭りはそもそも「農耕開始の祝い」「上巳の節句」「曲水の宴」の3つが習合された行事です。
農耕開始の祝いは、作物が天候に恵まれ豊作を祝うためのものですが、上巳の節句と曲水の宴はご存じない方も多いと思いますので、以下に詳しくご紹介します。
上巳の節句とは
上巳の節句は、3月の初めの「巳の日」を指し、中国では禊をする日として祝われています。
3月3日が上巳の節句として定着したのは4世紀頃で、中国の晋の時代には曲水の宴が代わりとしてありました。
上司の節句に禊(身を清める)との儀式が、ひな祭りの由来とも言われています。
曲水の宴とは
曲水の宴は、川に杯を浮かべ自分の前を通り過ぎるまでの間に詩歌を詠む風流な宴のことです。
詩歌を詠み終えたら、杯を取りお酒を飲むという貴族感が溢れる行事ですね。
現代でも太宰府天満宮などで曲水の宴の風習は残っていて、人形に息を吹きかけて厄を移し、人形をか川に流すことで厄払いをしています。
江戸時代になると、ひな人形は流すものではなく飾るものとして定着し、明治以降には今のようなひな人形が登場しています。
3月3日は和暦ではない?
ひな祭りは現代では3月3日に行われますが、江戸時代までは3月3日は同じでも和暦で祝われていました。
日本では明治まで和暦が使われていましたが、現代ではグレゴリオ暦に変わり、日付が違ってきたんですね。
一部の地域では、今でも和暦=4月3日にひな祭りを行っていますが、そもそもが3月3日に祝われた行事ではありませんでした。
グレゴリオ暦が浸透している現代では、3月3日がひな祭りとされますが、元々は4月3日頃がひな祭りの時期だったというわけなんです。
ひな祭りが始まったのは平安時代から?
それでは、ひな祭りがいつから始まったのか、由来や歴史などをご紹介してみました。
ひな祭りの起源は平安時代との説が有力ですが、そもそもが貴族の遊びから来ていたとすれば、何となく風流さを感じます。
今のようなひな祭りになるまでには歴史がありますが、そもそもが厄払いの意味があったようです。
もしひな祭りのお祝いをするなら、ぜひ由来も知って、人形の役割も知っておいてみてください。^^