
8月12日は君が代記念日だね!
国歌斉唱って毎回問題になるけど、どちらが正しいとかはないんだよね。

昔から続く国家だけど、過去が問題視されることもあるのよね。
今回は、8月12日が君が代記念日になった由来など紹介するわ!
8月12日は、日本の国歌「君が代」の記念日とされています。
ここでは、その由来と歴史を詳しくご紹介します。
『君が代』記念日(8月12日)

1893年(明治26年)のこの日、文部省は訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、小学校での祝日・大祭日用の唱歌として『君が代』『一月一日』『紀元節』などの8曲を定めました。
この和歌に、イギリスの軍楽隊長ジョン・フェントンが曲をつけ、日本で歌われるようになりました。
フェントンは、日本に国歌がないことを惜しみ、作曲を提案したと言われています。
しかし、最初のメロディーと歌詞が一致しないなどの理由から、宮内庁雅楽課の林広守が現在のメロディーに作り替えました。
1880年(明治13年)11月3日の天長節(天皇の誕生日)に、宮中で初めて演奏されました。
その後、1999年(平成11年)8月9日に「国旗及び国歌に関する法律」が制定され、8月13日に公布・施行されることで、『君が代』は正式に日本の国歌として法的に認められました。
『君が代』の歌詞は以下の通りです。
歌詞の意味と由来
『君が代』は、世界の国歌の中で最も古い時代に作られたと言われており、その意味は「祝福される人の長寿を祈る歌」や「天皇の治世を祝う歌」と解釈されます。
「君」とは、主人や家長、友人、愛人などを意味し、「細石の 巌となりて 苔の生すまで」は、「小石がやがて大きな岩になり、その上に苔が生えるまで」と、長い年月の象徴として表現されています。
『君が代』が記念日として制定された背景
『君が代』は、1893年8月12日に文部省が「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として公布しました。
この日を記念して「君が代記念日」が定められています。
また、国歌として正式に法的な地位を得たのは、1999年の「国旗及び国歌に関する法律」の制定によるもので、それまで「君が代」は慣習的に日本の国歌として認識されていました。
「君が代」の歴史と意味
「君が代」の歌詞は『古今和歌集』に収録された和歌が元になっています。
現代語に訳すと、「あなたの命が、千年も八千年も永遠に続くように」となります。
国歌としての「君が代」では、「君」は天皇を指し、「代」はその治世を表しています。
また、明治23年には2番以降の歌詞も存在しましたが、普及には至らず、現在では1番のみが正式な国歌とされています。
「君が代」の由来を英語で説明する方法

「君が代」の歌詞は、平安時代に編纂された歌集『古今和歌集』(905年)に収録されている和歌が元になっています。
この和歌の初出は非常に古く、1000年以上前のもので、作者は不明とされています。
「君が代」は、古くから多くの人々に親しまれ、物語や御伽草子、小唄、歌舞伎、浄瑠璃など、さまざまな作品に引用されてきました。
この和歌が国歌として歌われるようになる過程では、実は数名の外国人が関わっているのです。
しかし、彼の作曲したメロディは西洋的で、当時の日本人にはあまり受け入れられず、後に廃止されました。
英語で説明するなら?
日本が国際的な式典に参加する機会が増えるにつれ、国歌の必要性がさらに高まりました。
1880年(明治13年)、宮内省雅楽課に再び国歌の作曲が依頼され、宮内省伶人長の林廣守が雅楽の音階を用いて作曲したメロディが採用されました。
このメロディをドイツ人海軍軍楽教師フランツ・エッケルトが四声体に編曲し、現在の「君が代」となったのです。
この「君が代」の成り立ちを英語で説明する際には、以下のように伝えることができます。
これだけでも十分な説明ですが、もしイギリス人に説明するのであれば、次のような情報を加えると興味を引くかもしれません。
このように、日本の国歌にイギリス人が関わっていたことを伝えると、相手の関心を引くかもしれません。
君が代作曲にはイギリス人が関わっていた まとめ
1893年8月12日、文部省が「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、『君が代』を含む8曲が小学校の唱歌として定められました。
その後、1999年には「国旗及び国歌に関する法律」によって、正式に国歌として認められました。
最後までお読みいただきありがとうございました!