
7月16日は駅弁記念日だね!
駅弁の歴史は古いって本当?

駅弁は日本独特の文化から生まれたらしいわ。
今回は、7月16日が駅弁記念日になった由来など紹介するわね!
「駅弁記念日」は7月16日ですが、その意味と由来について解説します。
日本の駅弁の歴史をさかのぼっていきましょう!
駅弁記念日の由来

1885年7月16日、日本鉄道東北線の宇都宮駅で日本初の駅弁が販売されました。
この日は大宮駅から宇都宮駅までの区間が開通した日であり、宇都宮で旅館を営んでいた白木屋嘉平が、日本鉄道の重役の提案で駅弁を販売しました。
このことから、宇都宮駅は「駅弁発祥の地」とされていますが、他の駅でも「日本初の駅弁」が販売されたという主張もあります。
また、4月10日は「駅弁の日」とされています。
日本初の駅弁とは
1885年7月16日、日本鉄道の依頼を受けた「白木屋」が宇都宮駅で販売した駅弁が、日本初の駅弁として広く認識されています。
このため、7月16日は駅弁記念日とされ、各地で関連するイベントが行われます。
鉄道の発展と駅弁
駅弁は鉄道の開通とともに発展し、1889年には姫路駅で「幕の内弁当」が登場しました。
内容は、たいの塩焼き、伊達巻き、焼きかまぼこ、だし巻き卵、大豆こんぶ煮付け、栗きんとん、ごぼう煮つけ、甘みをつけて炊いたゆり根、薄味で煮つけたふき、奈良漬と梅干し、黒ごまをふった白飯でした。
戦時中の駅弁
日清・日露戦争を経て、日本は軍国主義化し、駅弁業者には戦地へ向かう兵士のための「軍弁」の注文が多く寄せられました。
詳細な内容は不明ですが、駅弁が時代を象徴する一例です。
現代の駅弁
現代では、東京駅などのターミナル駅や百貨店で全国の駅弁が販売され、通販でもお取り寄せが可能です。
現代の駅弁は、各地の特産品を詰め込んだ「ご当地弁当」として親しまれています。
人気の駅弁
現代でも人気の駅弁には、横浜・崎陽軒の「シウマイ弁当」、群馬・荻野屋の「峠の釜めし」、富山・源の「ますのすし」、群馬・高崎弁当の「だるま弁当」、北海道・阿部弁当の「いかめし」などがあります。
変わり種の駅弁
ユニークな駅弁には、有田焼の容器を使った「有田焼カレー」や、ひもを引くだけで温かくなる「あっちっちすき焼き弁当(淡路屋)」などがあります。
台湾でも人気の駅弁

台湾でも日本と同様に駅弁は人気があります。
シンプルな「鐵路便當」は、炊いた白米に漬物や排骨(パイコー)などの肉料理を乗せたもので、長年にわたり旅には欠かせない存在となっています。
弁当の概念は日本統治時代に台湾に伝わったとされていますが、日本と異なる点は、お弁当が「温かい」ということです。
台湾の人々は冷たいご飯を好まない傾向が強く、日本では「電車が動き出してから駅弁を食べる」という習慣がありますが、台湾では購入後すぐに食べる人がほとんどです。
駅弁とお茶の歴史

駅弁とともにお茶が販売されるようになったのは明治20年代のことです。
静岡駅の駅弁屋が信楽焼の土瓶にお茶を入れ、小さな湯のみを添えて販売したのが始まりとされています。
当時は有料でお茶の差し替えもでき、使用済みの土瓶は使い捨てでした。
しかし、土瓶は割れやすく扱いにくいため、大正10年(1921年)に鉄道省が使用を禁止しました。
代わりにガラス製茶器が使われましたが、評判が悪かったため、土瓶が復活しました。
昭和30年代初めに軽量で扱いやすいポリ容器が登場すると、土瓶はすぐに姿を消しました。
現在でも少数ですが、土瓶に入ったお茶を販売している駅があるようです。
旅の際に探してみるのも一興です。
駅弁記念日にはぜひ列車内で駅弁を まとめ
駅弁の歴史は明治時代に始まり、鉄道の発展とともに多様化してきました。
戦時中は「軍弁」としても使用され、大戦後は「ご当地弁当」として親しまれています。
駅弁の楽しみ方は多様で、現地に行かなくても味わえるものとしても進化を続けています。
最後までお読みいただきありがとうございました!