4月27日は駅伝誕生の日!意味や由来など解説!今日は何の日? | トレトレの昨日の?を今日で解決!
「アフィリエイト広告を利用した記事があります」

 

4月27日は駅伝誕生の日!意味や由来など解説!今日は何の日?

4月27日は駅伝誕生の日 4月

4月27日は駅伝誕生の日だね!

お正月になると、父がテレビで駅伝を見て、チャンネルを占拠するんだよなぁ。

お正月に見られる番組は少ないものね。

今回は、4月27日が駅伝誕生の日になった由来など紹介するわ!

日本での初めての駅伝は、1917年4月27日から始まり、3日間に渡って実施された「東海道駅伝徒歩競争」であり、これは東京の設立50周年を記念するイベントの一環として行われました。

4月27日は駅伝誕生の日

この競走は京都の三条大橋から始まり、東京の上野不忍池に至るまでの約508キロメートルをカバーしており、23の区間に分けられました。

このイベントは、東京が江戸から改名されてから50年を記念して、讀賣新聞の土岐善麿部長の提案により企画されました。

スタート地点とゴール地点には、「駅伝発祥の地」と記された碑が設置されています。

駅伝は、東海道五十三次の各「駅」にちなんで名付けられたもので、「駅」は都と地方を結ぶ重要な中継点を指します。

これらの地点では、宿泊施設や休息のための設備が整えられ、重要人物が移動する際には次の駅への馬の手配が行われていました。

駅伝の公式ルール

駅伝の公式ルールによれば、各ランナーは指定された区間を走り、その合計時間で競い合います。

伝統的な短距離リレーのバトンとは異なり、駅伝では襷が使用されます。

海外では「EKIDEN」として知られ、特にフランスではパリやストラスブールで大会が開催されています。

また、ワールドアスレティックスでは、「Road relay」として、全長42.195キロメートルを6つの区間に分けたリレーを認定しており、各区間の距離は国や大会によって異なります。

日本の多くの大会では、季節や気温がランナーのパフォーマンスに重要な影響を与えるため、秋から冬にかけて開催されることが一般的です。

駅伝の魅力はどこ?

駅伝の魅力はその団体戦の性質にあり、ランナー個々の力だけでなくチーム全体の協力が勝利への鍵を握ります。

また、このスポーツは常にドラマを生み出すことで知られ、リードが逆転されたり、アクシデントによる変動が見られることがあります。

これらの要素が、観客にとって駅伝を魅力的な観戦スポーツにしています。

駅伝の由来

駅伝と聞くと、多くの人が新年の「箱根駅伝」を想像するかもしれません。

大学生たちがタスキを繋ぎながら、箱根の山々を走る姿は多くの視聴者を画面に釘付けにします。

しかし、この競技の起源は一体どこにあるのでしょうか?

駅伝の正式名称

駅伝、または正式には「駅伝競走」と読まれ、これは長距離リレー陸上競技の一形態です。

この競技は、数名で構成されるチームがリレー形式で各区間を走ります。

このスポーツの名前は、古代から近世にかけて存在した「駅伝制(駅馬・伝馬制)」に由来しているとされています。

「駅伝制」とは、馬を使用して手紙や物資を運んだ制度で、大化の改新の頃から馬の乗り継ぎのための施設や宿泊施設が整備されました。

鎌倉時代の飛脚との関係

また、鎌倉時代には「飛脚」と呼ばれる人々が、金銭や手紙、物品を運ぶ役割を果たしました。

飛脚は、現在では約2週間かかる東京から大阪間をわずか3日から4日で走り抜けることができました。

彼らは単独で走ったわけではなく、宿場と呼ばれる場所までの約10キロを交代しながら走りました。

日本初の駅伝とは

1917年に日本で初めて競技として開催された「駅伝」は、東京奠都(てんと)記念東海道駅伝徒歩競争でした。

これは讀賣新聞社会部長の土岐善麿による発案で、明治天皇の京都から江戸城(現・東京)への移動を記念して行われました。

この記念イベントは、東京奠都50周年を祝う大博覧会の一環として開催され、東京が新たな首都として定められたことを祝いました。

この大会では、京都府の三条大橋から東京都の上野不忍池までの約508キロメートルを、昼夜を問わず3日間で走り切り、関東組が先にゴールしました。

この成功を受けて、1920年には名高い「箱根駅伝」がスタートしました。

駅伝は「箱根駅伝」だけでなく、学生、実業団、社会人、さらには小中高生の大会も全国各地で開催されています。

また、市民ランナーも参加できるイベントも多く、友人や知人と一緒にチームを組んで楽しむことができます。

駅伝は箱根駅伝だけじゃない! まとめ

4月27日は、駅伝が始まった記念すべき日とされています。

この日に開催された初の駅伝は、コース上のいくつかの場所で木曽川や天竜川を渡る際に橋がなかったため、伝えられるところによるとランナーたちは渡し船を使用して川を渡っていました。

また、夜間もレースが続けられたため、周囲は真っ暗であり、地元の住民が道を照らすために松明を持ってサポートしていたとされます。

これらの逸話から、その時の駅伝がいかに厳しい条件下で行われていたかが伺えます。

最後までお読みいただきありがとうございました!