
12月29日はシャンソンの日だね!
シャンソン歌手と言えば、美輪明宏さんもそうだったのかな?

昔のシャンソン喫茶と言えば、銀巴里が有名だったそうよ?
今回は、12月29日がシャンソンの日になった由来など解説するわ!
実は今日は、東京・銀座の伝説的なお店が姿を消した日なんです。
12月29日はシャンソンの日

今日のポイントをまとめてみましょう。
- 日本初のシャンソン喫茶「銀巴里」が1990年12月29日に閉店
- 39年もの間、多くの人々に愛され続けた伝説的な名店
- 最後のステージは美輪明宏さんが担当
- コーヒー付き1800円という驚きの価格設定
- 現在は石碑だけが当時を偲ばせる
日本初のシャンソン喫茶「銀巴里」とは
「銀巴里」は1951年に日本初のシャンソン喫茶店としてオープンしました。
戦後の復興期、人々が新しい文化に飢えていた時代。
そんな中で生まれた「銀巴里」は、たちまち多くの人々の心をつかんだんです。
何といってもその雰囲気が素晴らしかったそうです。
コーヒーの香りとシャンソンの調べが漂う店内。
今の銀座には、そんな粋な空間はなかなか見つからないかもしれませんね。
驚きの料金設定
驚くのは、その料金設定なんです。
シャンソンを映画並みの料金で楽しんでもらいたいという想いから、コーヒー付き1800円。
しかも消費税も取らなかったんですよ。
今の時代には考えられないですよね。
私も聞いたときは「え?本当に?」って思いました。
東の銀巴里&西のラ・ベル・エポック
当時、「銀巴里」は「東の銀巴里、西のラ・ベル・エポック」と呼ばれていたそうです。
吉祥寺にあった「ラ・ベル・エポック」と並んで、シャンソン文化を支える二大聖地だったんですね。
父が「銀巴里」で見た中で、特に印象に残っているのが美輪明宏さんのステージだそうです。
そして運命のいたずらなのか、この伝説的な店の最後のステージも美輪さんが担当することになりました。
バブル経済の波に押され、39年の歴史に幕を下ろすことになってしまったんですね。
寂しいですが、これも時代の流れなのかもしれません。
「銀巴里」があった場所には石碑が

画像引用元:雑学ネタ帳
今、「銀巴里」があった場所には石碑が建っています。
銀座七丁目9番11号付近。
「銀巴里」は多くのアーティストに愛され、その存在は音楽作品としても残されています。
父が「銀巴里」で過ごした青春時代の話を聞くと、私も一緒にその場所にいたような気持ちになります。
コーヒーの香り、シャンソンの調べ、お客さんの笑顔。
そんな素敵な空間が、確かにこの銀座にあったんですね。
時代は変わり、文化も変わっていきます。
でも、「銀巴里」が大切にしていた「良質な文化を手頃な価格で」という精神は、今でも私たちの心に響くものがありますよね。
銀巴里が閉店してから30年以上 まとめ
「銀巴里」が閉店してから30年以上が経ちました。
でも、その存在は多くの人々の記憶に、そして銀座の街に、今でも確かに生き続けているんです。
みなさんの中にも、「銀巴里」や「ラ・ベル・エポック」に行ったことがある方がいらっしゃるかもしれませんね。
私も、もし時間を遡れるなら、一度は「銀巴里」でコーヒーを飲みながらシャンソンを聴いてみたいなと思います。
きっと素敵な体験になったはずです。
みなさんは、どんな場所に思い出を持っていますか?
最後までお読みいただきありがとうございました!