7月18日はネルソン・マンデラ・デーだね!
南アフリカの大統領だけど、初の黒人大統領だったんだって?
黒人が大統領になるのは当時では珍しかったみたいね。
今回は、7月18日がネルソン・マンデラ・デーになった由来など紹介するわ!
ネルソン・マンデラは、南アフリカの反アパルトヘイト運動を率いた人物であり、1994年に南アフリカ初の黒人大統領となりました。
彼の誕生日である7月18日は、彼の貢献を称えて「ネルソン・マンデラ国際デー」とされています。
7月18日はネルソン・マンデラ・デー
画像引用元:ナショナルジオグラフィック
この記念日は2009年11月の国連総会で制定され、英語で「Nelson Mandela International Day」と呼ばれます。
「マンデラデー」とも称されるこの日は、マンデラの誕生日にちなんでいます。
マンデラの生涯と闘争
ネルソン・マンデラは1918年7月18日、南アフリカ連邦に生まれました。
彼は差別的な社会構造であるアパルトヘイトを覆すために生涯をかけました。
マンデラはアフリカ民族会議(ANC)に参加し、非暴力運動から武装闘争へと方針を転換。
その結果、反逆罪で逮捕され、27年間の獄中生活を送りました。
アパルトヘイトの撤廃と大統領就任
国際社会の非難が高まり、経済制裁が強まる中、南アフリカ政府はアパルトヘイトの撤廃に動きました。
1990年にデクラーク大統領がマンデラを釈放し、マンデラはANCの議長に復帰しました。
1993年にはデクラークと共にノーベル平和賞を受賞し、1994年には南アフリカ初の黒人大統領に選ばれました。
大統領としての業績
マンデラは人種融和政策を推進し、新しい南アフリカを築くための改革を進めました。
新憲法の制定やラグビーワールドカップの開催などで国民の統合を図りましたが、経済格差の拡大や治安の悪化などの課題も残しました。
1999年に大統領を退任し、2013年に95歳で亡くなりました。
南アフリカの象徴的存在、ネルソン・マンデラ
画像引用元:世界史の窓
ネルソン・マンデラは、南アフリカの「父」として知られ、アパルトヘイトを撤廃し、平和と平等をもたらした人物です。
マンデラの言葉と行動は、南アフリカの黒人やカラードの人々に大きな勇気を与え、南アフリカ全体を変革しました。
彼が亡くなった後も、その言葉は世界中の人々の心に生き続けています。
幼少期から、人種差別や苦しい生活を目の当たりにし、平和と自由を求める強い信念を育みました。
12歳の時に父を亡くし、周囲を守る責任感は一層強まりました。
反アパルトヘイト運動を推進
1944年にアフリカ民族会議(ANC)に参加し、不平等な生活に反対して反アパルトヘイト運動を推進しました。
その結果、マンデラは政府から追われる身となり、反逆罪で投獄されました。
マンデラはケープタウン沖のロベン島で18年間を含む27年間の獄中生活を送りました。
投獄中も人権を訴え続け、アフリカーンス語を学び、敵との心の通い合いの重要性を理解しました。
条件付き釈放の提案も拒否し、人権への信念を貫きました。
ネルソン・マンデラの名言
1964年の裁判でのマンデラの言葉は、彼の信念を象徴しています。
マンデラの名は世界中に知れ渡り、解放の声が広がりました。
南アフリカ最後の白人大統領であるF.W.デクラークと共に、アパルトヘイトを見直し、1990年にマンデラは釈放されました。
二人はアパルトヘイト廃止に向けて努力し、1991年に「人口登録法」「原住民土地法」「集団地域法」を廃止しました。
この功績により、1993年に二人はノーベル平和賞を受賞しました。
ネルソン・マンデラの功績は大きい まとめ
ネルソン・マンデラはアパルトヘイトと闘い続けた英雄であり、彼の功績は今も多くの人々に尊敬されています。
彼の遺志を継ぎ、社会奉仕活動に取り組むことがネルソン・マンデラ国際デーの意義です。
最後までお読みいただきありがとうございました!