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6月15日は米百俵デー!記念日の由来や米百俵まつりとは?

6月15日は米百俵デー!記念日の由来や米百俵まつりとは? 6月

6月15日は米百俵デーだね!

でも何をする記念日なんだろ?

戊辰戦争の時期に由来するらしいわ。

今回は、6月15日が米百俵デーになった理由など紹介するわね!

新潟県長岡市が市制90周年を迎えた1996年に制定されました。

戊辰戦争で敗れた長岡藩は財政難に陥り、士族たちは三度の「かゆ」すらもままならない状況でした。

6月15日は米百俵デー

この状況を知った三根山藩は、長岡藩に百俵の米を送りました。

しかし、長岡藩の大参事・小林虎三郎は、その米を士族に配らず、「食べられない時こそ教育が大切だ」と言い、その米を売却して学校を設立することを決意しました。

その資金で建てられた「国漢学校」が1870年6月15日に開校しました。

この「米百俵の精神」を次世代に伝えるために、長岡市米百俵財団はこの日に人材育成に貢献した個人・団体に米百俵賞を贈呈しています。

長岡藩の歴史と米百俵

戊辰戦争の激動の中、長岡藩は河井継之助の指揮のもと新政府軍と戦いました。

その結果、長岡は壊滅し、石高も激減しました。

江戸で佐久間象山の下で学んだ小林虎三郎は、長岡藩が戦争に参加することに反対していましたが、戦後、文武総督に任命されました。

小林は、「時代に遅れないよう、優れた人材を育てることが重要」と考え、昌福寺の本堂を借りて国漢学校を開校し、子どもたちに教育を施しました。

翌年、三根山藩から送られた百俵の米を、虎三郎は教育のために使用することを決め、その米を売却して学校の資金としました。

1870年6月15日、新校舎が開校し、町民や農民の子どもたちも受け入れました。

小林虎三郎の教育理念

小林虎三郎は、教育を重視し、「国の興亡は人にかかっている」との信念を持っていました。

彼は国漢学校を設立し、東京帝国大学総長の小野塚喜平次や解剖学者の小金井良精など、多くの優れた人材を輩出しました。

この学校は現在の市立阪之上小学校として引き継がれています。

山本有三と「米百俵」

この物語は文豪・山本有三によって戯曲「米百俵」として書かれました。

この戯曲は昭和18年に出版され、虎三郎の理念が多くの人々に伝えられました。

小林虎三郎の生涯

小林虎三郎は1828年8月18日に長岡藩士の三男として生まれました。

江戸で学び、佐久間象山の門下生となり、「象山門下の二虎」と称されました。

彼は教育の重要性を説き、戊辰戦争後に国漢学校を設立しました。

終生病に苦しみ、1877年に50歳で亡くなりました。

長岡が誇る「米百俵の精神」をテーマにした米百俵まつり

この祭りは、約150年前の北越戊辰戦争で激しい戦いを繰り広げた長岡藩の歴史と「米百俵の精神」を次世代に伝えるために誕生しました。

戦争で町が焼き尽くされ、多くの命が失われた中、長岡の先人たちは復興に立ち上がり、「質朴剛健」の精神を持ち続けました。

長岡藩の大参事・小林虎三郎が提唱した「米百俵の精神」は、教育の重要性を強調し、長岡の復興に大きな役割を果たしました。

この精神を、次世代を担う子どもたち、そして日本全国、さらには世界中の人々に伝えることを目的とした祭りです。

大手通りメインステージの主なプログラム

越後長岡時代行列「出陣式」

戊辰戦争時の長岡藩の隊列が大手通ステージから勇壮に出陣します。

阪之上小学校米百俵英語劇・出張伝統館

阪之上小学校6年生による英語劇「米百俵」の発表と、5年生によるポスターを使った長岡の歴史や米百俵の故事の解説が行われます。

米百俵の精神が生んだ郷土の先人の紹介

大手通りステージで、長岡の風土と米百俵の精神が育んだ偉人たちを仮装した人物が紹介します。

例として、山本五十六、堀口大学、小野塚喜平次、斎藤博、井上円了などが挙げられます。

「現代版」米百俵の精神

新潟市巻、岩室地区からの親書が届き、米百俵チャリティーに協力した方々へのお米が実行委員長に手渡されます。

米百俵みこし

長岡神輿協議会による米百俵みこし渡御が行われ、会場を盛り上げます。

ホコ天イベント

  • なりきり姫・武将体験
  • 手裏剣体験
  • チャンバラ体験
  • 昔遊び体験
  • おれモンを作ろう(自分だけの家紋作成)
  • まち歩きゲームコーナー

周辺市町村のイベント・物産展

長岡藩にゆかりのある市町村(例:東京都日野市)からのPRや特産品販売が行われます。

フリーマーケット

一般市民から募集したフリーマーケットが開催されます。

米百俵の精神を受け継ぐために まとめ

米百俵デーは、長岡藩の歴史と教育の重要性を次世代に伝える日です。

この精神は、長岡市のまちづくりと人材教育の理念として今日まで続いています。

最後までお読みいただきありがとうございました!