5月28日は花火の日!意味や由来など解説!今日は何の日? | トレトレの昨日の?を今日で解決!
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5月28日は花火の日!意味や由来など解説!今日は何の日?

5月28日は花火の日!意味や由来など解説!今日は何の日? 5月

5月28日は花火の日だね!

大人になっても、花火にはいつも心躍るよ!

冬には花火ができないって子供に教えるのは大変だったわ。

今回は、5月28日が花火の日になった由来など紹介するわね!

5月28日は「花火の日」です。

この日の意味や由来について詳しく説明します。

5月28日は花火の日

1733年(享保18年)のこの日、隅田川の両国橋付近で水神祭の川開きが行われ、その際に慰霊を兼ねた花火が打ち上げられました。

これが「両国川開きの花火」の始まりです。

この年は第8代将軍・徳川吉宗の治世で、全国的に凶作と大飢饉が発生し、コレラが大流行して多くの死者が出ました。

その犠牲者を慰めるために花火が打ち上げられ、やがて庶民の楽しみとして定着しました。

花火師の競演

その後、「玉屋」と「鍵屋」という江戸を代表する花火師の屋号が技を競い合うようになりました。

両国橋を挟んで上流を玉屋が、下流を鍵屋が担当し、交互に花火を打ち上げました。

この時に「たまや~」「かぎや~」の掛け声が生まれました。

中断と復活

両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦、その後も交通渋滞や隅田川の水質悪化などにより中断されました。

しかし、1978年(昭和53年)に「隅田川花火大会」として復活し、以降毎年7月に開催されています。

ただし、2020年(令和2年)は新型コ●ナウイルス感染症(COVID-19)の影響で開催が中止されました。

東京三大花火大会と日本三大花火大会

東京を代表する花火大会として、隅田川花火大会、神宮外苑花火大会、東京湾大華火祭があり、これらは「東京三大花火大会」と呼ばれています。

また、「日本三大花火大会」としては、秋田県大仙市の全国花火競技大会(大曲の花火)、茨城県土浦市の土浦全国花火競技大会、新潟県長岡市の長岡まつり大花火大会があります。

5月28日の由来

5月28日が「花火の日」とされるのは、旧暦の日付(6月末)に基づいています。

1733年5月28日、隅田川の両国橋で行われた水神祭で、飢饉や病気で亡くなった人たちを慰霊するために花火が打ち上げられました。

これが日本最古の花火大会とされ、隅田川花火大会の始まりでもあります。

もう一つの「花火の日」

実は、8月1日も「花火の日」とされています。

1948年の8月1日、戦後初めて火薬の製造許可が降り、隅田川花火大会が復活しました。

この日を記念して1967年に「花火の日」が制定されました。

花火の原型は「のろし」

花火の原型は「のろし」であり、古くから信号として使われてきました。

1242年に黒色火薬が発明され、「花火」が登場しましたが、現在のように色鮮やかになったのは19世紀に入ってからです。

日本での花火の起源ははっきりしていませんが、最古の記録は1613年、明国の商人がイギリス国王の使者を案内して徳川家康に火の粉が吹き出る形状の花火を見せたというものです(「駿府政事録」など)

江戸時代初期には、花火は庶民にも広まり大流行しましたが、火災の原因となることも多く、当時の3代将軍徳川家光は花火禁止令を出しました。

火薬と花火の起源および日本への伝来

火薬の起源については複数の説がありますが、広く受け入れられているのは、中国の秦の始皇帝が万里の長城の要所に「狼煙(のろし)」として硝石を使用したという説です。

その後、不老長寿の薬を作ろうとする過程で、偶然に黒色火薬が発明されたと言われています。

火薬と花火の発展

火薬は中国で武器として利用され、その後、花火としても発展しました。

これらはシルクロードを通じてイスラム諸国へ、そして12世紀後半にはヨーロッパへ伝わりました。

ルネサンス期のヨーロッパでは、宗教行事で花火が利用され、都市の発展と商業資本の隆盛に伴って広まりました。

16世紀にはイギリスのエリザベス1世や17世紀のロシアのピョートル大帝が大花火を楽しんだ記録があります。

日本への伝来

日本で火薬が初めて使われたのは、鎌倉時代中期の元寇(文永の役、弘安の役)で、蒙古軍が使用した「てつはう」という火薬の武器でした。

その後、16世紀に種子島に火縄銃とともに火薬の製造技術が伝わり、火薬は主に武器として使われるようになりました。

織田信長の時代には、日本の鉄砲の数はヨーロッパ全体を凌駕するほどでした。

日本における花火の始まり

日本で最初に花火を見た人物については諸説あります。

1613年、イギリス国王ジェームス1世の使者が徳川家康に花火を献上した記録があります。

また、駿府城で家康が明の商人による花火を見たとも伝えられています。

これにより、家康が花火を初めて見た人物とされていますが、1582年に大友宗麟がポルトガルのイエズス会宣教師に花火を打ち上げさせた記録や、1589年に伊達政宗が唐人の花火を楽しんだ記録もあります。

このため、日本で初めて花火を見たのは大友宗麟かもしれません。

夏の風物詩「花火」の由来

夏の風物詩として知られる花火ですが、そのルーツは江戸時代の大飢饉にあります。

1733年5月28日、隅田川の両国橋付近で飢饉の犠牲者を慰霊し、悪霊退散を祈願するために花火が打ち上げられました。

この花火が現在の隅田川花火大会の始まりです。

灯籠流しと同様に、花火には鎮魂の意味があり、盆の時期に花火大会が集中しているのもそのためです。

徳島の花火の歴史

戦国時代から江戸時代にかけて、徳島では火薬が軍用の武器として使われていましたが、平和な時代が訪れると火薬は花火として利用されるようになりました。

現在でも、徳島県内の小松島市や那賀郡などでは、藩政時代からの技法を受け継ぐ花火が製造されています。

花火の日はまだ開催時期には早い?まとめ

5月28日は「花火の日」です。

これは1733年に隅田川で花火が打ち上げられたことに由来しています。

なお、当時の日付は旧暦であり、現行のグレゴリオ暦に換算すると7月9日に相当します。

最後までお読みいただきありがとうございました!