
和食にも洋食にも食事マナーってあるよね?
でも、一体誰が決めたんだろう?

確かに、いつから生まれたのかも気になる所よね?
今回は、食事マナーは誰が決めたのかなど、歴史から見ていくわね!
和食にも洋食にも食事マナーがありますが、一体誰が決めたのかなどはっきりしません。
今回は、和食と洋食の食事マナーの歴史から誰が決めたのかなどご紹介します!
和食の食事マナーは誰が決めた?

和食の食事マナーは、禅宗などの修行で行われる作法を茶道に取り入れた、料理道から導かれたものなどがあると言われています。
具体的には、13世紀に道元が著したと言われる「赴粥飯法」では、禅宗寺院における食事のマナーを詳しく規定していたと言われています。
その後、室町時代になると、小笠原流や伊勢流といった礼法の流派が形成されることになり、包丁や箸使いのマナーが生まれたとも言われています。
さらに、江戸時代には食事のマナーを記した「食物服用之巻」も登場することになりますが、小笠原流の流れを汲んだもので、一番最初にマナーを記したのは道元ですが、現代のマナーに通じるのはこちらの小笠原流かもしれません。
ちなみに、後述しますが、日本に初めて導入された食事マナーの指導書はイタリア人シェフの「食事作法の50則」と言われています。
伝統的な日本の食事マナーは、個々人の領域を重く考えてありましたが、お膳の前に座って食事するとの食事マナーは、現代にも懐石料理などに受け継がれています。
洋食の食事マナーは誰が決めた?

洋食の食事マナーの起源を見てみると、一番古いと言われるのが紀元前2500年頃の、古代エジプト・イセシ王時代のプタホテップによって書かれた指導書が由来とされています。
ちなみに、指導書の内容は、以下のような文言が書かれていたようです。
- 皆が笑う時には、あなたも笑いなさい
- 食事の席では自己主張することなく、上に立つ人の見方で物事を見なさい
- 人々と一緒に食事をする場合には、目上の人に従いなさい
マナーの本質は、他人を不快にさせないことなので、人と人との気づかいに関するマナーが紀元前に生まれていたのには驚きです。
なので、洋食の食事マナーを誰が決めたのかと言えば、一番最初は、プタホテップと言えるかもしれません。
世界最初のテーブルマナー本「食事作法の50則」とは?
13世紀に突入すると、本格的な食事マナーの本などが発行されるようになりますが、その中でも「食事作法の50則」が誕生したときには話題となりました。
13世紀や14世紀のマナー本には、以下のような文言が書かれていたようです。
- 食事中に鼻をならしてはいけない
- テーブルの上や周りに唾を吐いてはならない
- 鼻をかんだり、咳をするときは、テーブルに飛ばないよう、後ろ向きでする
- 食事前には手を洗う
- 食べ終わった骨などを、元の皿に戻さない
- ナイフの先を爪楊枝がわりに使わない
これらの食事マナーがすでにあったとされ、そこに、メディチ家(イタリアの名家)のカトリーヌがフランスの王家に嫁いだ時、付き添いの料理長がフランスのテーブルマナーの野蛮さに驚き、カトラリーの使い方などをまとめた「食事作法の50則」を発行します。
これこそが世界で一番最初の「テーブルマナー専門書」とも言われており、現在の洋食の食事マナーは誰が決めたかと言えば、イタリアの料理長ということになります。
和食も洋食もマナーの源流は同じ まとめ
それでは、和食や洋食の食事マナーは誰が決めたのかを、和食と洋食別にご紹介してみました。
和食の食事マナーは道元が起源とされていますが、その後食事スタイルによって変化し、小笠原流なども生まれます。
一方、洋食の食マナーの起源は、イタリア人シェフの「食事作法の50則」にあると言われています。
どちらの食事マナーにも言えることですが、マナーは歴史と共に変遷していくので、昔OKだったマナーが現代ではNGとされるなどもあり得ることです。
なので、基本の食事マナーを参考にして、多様なシチュエーションに対応できるようにする必要がある点も忘れないでください。
最後までお読みいただきありがとうございました!