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7月27日は政治を考える日!記念日の由来など解説!何の日?

7月27日は政治を考える日!記念日の由来など解説!何の日? 7月

7月27日は政治を考える日だね!

記念日が逮捕された日だなんて、本当に政治を考える日って気がするよ。

確かに、言いえて妙よね。

今回は、7月27日が政治を考える日になった由来など紹介するわ!

7月27日は「政治を考える日」として知られています。

この日は1976年にロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたことを記念しています。

7月27日は政治を考える日

ロッキード事件は、アメリカの航空機メーカーであるロッキード社がジェット旅客機・トライスターを日本に売り込む際、日本の政界に多額の賄賂を提供したとされるスキャンダルです。

この事件は同年、アメリカ上院外交委員会で明らかになりました。

田中角栄元首相を含む関係者は、トライスター導入に関連する5億円の賄賂と外国為替及び外国貿易法違反の疑いで逮捕されました。

ロッキード事件とは

ロッキード事件は、アメリカの航空機メーカー、ロッキード社が日本市場への進出を狙い、政界の有力者に多額の賄賂を渡した汚職事件です。

田中角栄元首相の逮捕を招き「戦後最大の汚職事件」として広く知られるようになりました。

特に小佐野賢治氏の「記憶にございません」というフレーズが当時の流行語となりました。

事件の始まり

1976年2月、アメリカ上院外交委員会で、ロッキード社の副会長であるアーチボルド・コーチャンが、航空機の売り込みのために各国の政府高官に賄賂を提供したことを告白しました。

彼は、日本にも30億円以上の資金を使い、全日空に「L-1011トライスター」を売り込み、防衛庁には「P-3Cオライオン」の採用を働きかけたと証言しました。

徹底究明の約束

当時の首相であった三木武夫は、このスキャンダルの徹底究明を国民に約束しました。

捜査は田中角栄元首相を含む政界・経済界の有力者に及びました。

1976年2月16日から、東京地検特捜部の捜査に先立ち、衆議院予算委員会で数回の証人喚問が行われました。

証人喚問

証人喚問には、田中角栄と密接な関係にあった国際興業グループ創業者の小佐野賢治氏をはじめ、全日空の経営陣や丸紅の幹部、ロッキード日本支社の責任者などが出席しました。

この証人喚問の模様は全国にテレビ中継され、大きな注目を集めました。

小佐野氏の「記憶にございません」という発言が特に話題となりました。

賄賂の流れ

捜査の結果、ロッキード社の日本総代理店であった丸紅、全日空、そして「政界の黒幕」と呼ばれた児玉誉士夫を通じて賄賂が日本の政界に流れたことが明らかになりました。

1976年、田中角栄元首相、橋本登美三郎元運輸大臣、佐藤孝行元運輸政務次官が逮捕されました。

さらに、丸紅と全日空の幹部、秘密裏にロッキード社のコンサルタントを務めていた児玉氏、小佐野氏ら16人が起訴されました。

裁判とその後

裁判は1977年1月から始まり、丸紅、全日空、児玉・小佐野の3つのルートに分けて進められました。

児玉氏は一審の途中で死亡し、田中氏、橋本氏、小佐野氏ら4人は一審で有罪判決を受けましたが、上告中に死亡しました。

他の11人も1995年までに全員有罪が確定しました。

内閣制度の創設

内閣制度の誕生

1885年12月22日、太政官制度に代わって内閣制度が創設されました。

この日は太政官達第69号により、以下のことが定められました。

  1. 太政大臣、左右大臣、参議および各省卿の職制を廃止し、新たに内閣総理大臣および各省の大臣を設置すること
  2. 内閣総理大臣と各大臣(宮内大臣を除く)で内閣を組織すること

初代内閣総理大臣には伊藤博文が任命されました。

内閣職権の制定

同日、内閣制度の運営基準として「内閣職権」が制定されました。

この基準は内閣総理大臣の職責を明確にし、各省大臣に対する統制権を強化したものです。

内閣総理大臣は「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承テ大政ノ方向ヲ指示シ行政各部ヲ統督ス」(第1条)、「行政各部ノ成績ヲ考ヘ其説明ヲ求メ及ヒ之ヲ検明スルコトヲ得」(第2条)などの強い権限を持ち、各省大臣には「其主任ノ事務ニ付時々状況ヲ内閣総理大臣ニ報告スヘシ」(第6条)という報告義務が課されました。

明治憲法下の内閣制度

内閣官制の制定

1889年2月11日に明治憲法が公布されました。

天皇が統治権を総攬し、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(第55条第1項)と定められたものの、内閣自体については特段の規定がありませんでした。

行政権は国務大臣の輔弼によって天皇が行う原則のもと、内閣は国務大臣が協議し、行政上の方針を統一する場として設けられました。

同年12月24日、「内閣官制」が公布され、明治18年の「内閣職権」を踏襲しつつ、内閣総理大臣の各省大臣に対する統制権限が弱められました。

この内閣官制は昭和22年に「内閣法」が制定されるまでの約60年間にわたって施行されました。

内閣総理大臣の位置づけ

明治憲法では内閣総理大臣について特段の規定がなく、天皇を輔弼する関係においては他の国務大臣と同格でありました。

内閣総理大臣は「内閣官制」によって「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス」(第2条)と定められ、「首班」とは「同輩中の首席」を意味するものでした。

記念日には政治の文献を読んでみよう まとめ

それでは、7月27日が政治を考える日になった理由として、ロッキード事件などご紹介してみました。

田中角栄首相を知っている方は、年配の方が多いと思いますが、ロッキード事件の内容を知っておくと、今の政治との比較もできますね。

最後までお読みいただきありがとうございました!